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夢を日常に変えた天才芸術家 『サルバドール・ダリ』

夢を日常に変えた天才芸術家 『サルバドール・ダリ』

Posted February. 06, 2007 06:49,   

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天才を熱望する世の中に向かって「私は天才だ」とびっくり宣言をした画家がいる。まさに超現実主義のスター画家であるダリだ。

読者よ、もしあなたが美術に関心がなくても舌のように垂れたダリの時計は憶えているだろう。チーズのようにふにゃふにゃのダリの時計は、美術の教科書や商業広告にもよく載るからだ。ダリがふにゃふにゃの時計を開発したおかげで、時計のように正確な人間になることを願った人々は緊張感から脱し、いっそう余裕を持つようになった。同時に時間は正確かつ堅固なものという固定観念からも解放された。

それなら、時間の奴隷になった現代人に原初的な時計をプレゼントしたダリを天才と呼んでもいいのではないか。

実は天才という単語ほど平凡な人々の劣等感を刺激するものは珍しい。果して天才はどんな人だろうか。百科全書の著者であると同時にフランスの思想家であるディドロのことばを借りて天才を定義してみる。「精神の拡張、想像力、魂の闊達さ、それが天才だ」。

ディドロの理論によると、ダリは確かに天才だ。ダリはおびただしい想像力と湧き水のようにあふれ出るアイデア、奇抜な発想で人々の眠っている意識を一気に覚ましたからだ。

そんなダリが自分の独特の芸術観、愛、人生、本音を破格に打ち明けた本が、今回紹介する『サルバドール・ダリ』だ。ダリはこの自伝で子どものように幼稚な発想と自由奔放な性意識、編集狂的な視線で眺めた世の中、天才性を威張るエゴイストの姿を赤裸々に表現した。しかし、ほら吹きのダリといって陰口を叩かないようにしよう。なぜなら、それがすなわち天才芸術家の特権だからだ。考えてみよう。もし自我に対する確信、あるいは自己を尊重する心がなければ、そのように過度の情熱を持って狂ったように芸術に打ち込むことができただろうか。

だから、詩人ジャン・コクトーは「天才は自分と愛におぼれる」と言ったのではないか。

よく3歳から7歳までを創造性の黄金時代と言う。理由は、この時期の子どもたちは熱い情熱で世の中を勉強し、濃縮された好奇心と探究心を栄養分にして創意性と想像力をぱっと花咲かせるからだ。このような事例に照らしてみると、ダリは永遠な子どもであるわけだ。そのためだろうか。本を読んでいる途中、小説『ブリキの太鼓(The Tin Drum)』と映画『アマデウス』が浮かんだ。

『ブリキの太鼓』の主人公であるオスカーは、偽善と憎悪に満ちた世の中を拒否し、俗物的な生に汚染しないために3番目の誕生日、自分の意志で身体的な成長を停止させる。そしてオスカーは永遠に子どもとして生きていく運命を選ぶ。一方『アマデウス』のサリエルは天才性の代わりに天才を見極める能力だけをくれた神を呪い、劣等感の源泉であるモーツァルトを死に追い込み、彼も破滅の道を歩く。

ああ、天才に対する羨望と感嘆、そして嫉妬よ!

読者よ、もしあなたが永遠な子どもであり、天才であるダリの秘密が知りたければ、夢を日常に、日常を夢に変形させた偉大なる芸術家の自伝をぜひ読みふけってほしい。