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キラキラと輝く『蛍光色』のヒップホップ、「ビッグバン」

キラキラと輝く『蛍光色』のヒップホップ、「ビッグバン」

Posted January. 10, 2007 07:24,   

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豹が5頭歩いてくるような気がした。直接デザインしたという豹柄のジャケットに金色の手袋まで合わせた5人、顔には産毛がいっぱいだが今でもすぐうなりながら襲いかかるような勢いだ。ところが、チームのリーダーであるG−ドラゴン(本名=クォン・チヨン、19)は、初のコンサートが終わり、病気で寝込んだ話を持ち出してきた。

「昨年12月30日コンサートが終わって、風邪を引いた上に腸炎まで併発し…。メンバーたちにとてもすまない気持ちでいっぱいですね」(G−ドラゴン)

●初のコンサートに観客1万2000人

体は壊したがうれしかったという。YGエンターテインメント出身の10代5人組グループ「ビックバン」。昨年8月デビューした後、1カ月おきに3枚のシングル音盤を発表し、10万枚近い音盤販売を記録した。年末発売したデビュー音盤は、現在音盤販売量順位(ハンター情報)で2週間連続トップとなっている。

また、初のコンサートに1万2000人の観客を集めるなど、デビューして6ヵ月にもなっていない彼らの活躍ぶりには目を見張るものがある。まだ「子豹」に過ぎないが、ファンたちは彼らに「2007年歌謡界最大の有望株」という栄誉を与えた。

「私たちの音楽は『蛍光色』と言えるでしょうか。蛍光色のように際立ちながらも楽しいヒップホップをしたいと思います。『たかがアイドルだろう』という非難の声も耳にしますが、まだまだお見せすることがいっぱいあります。私たちは新しい音楽のジャンルを流行させる『変わった』アイドルグループになりたいものです」(TOP、本名=チェ・スンヒョン、20)

●辛抱強かった歳月

今日に至るまでに、彼らが待ち続けた時間はおよそ6年。2000年小学校6年生たちだったG−ドラゴンと太陽(本名=トン・ヨンベ、19)が歌手の夢を胸にYGエンターテインメント社の扉をたたいてみたが、以後先輩たちの音盤にちょこちょこ参加しただけで、デビューの機会はなかなかやってこなかった。5年後、弘益(ホンイク)大学近くのクラブでラップをしていたTOPがデモCDを手に会社を訪れており、歌謡教室を通っていたデソン(本名=カン・デソン、18)と光州(クァンジュ)で「ダンス王」の異名を持っていたスンリ(本名=李・スンヒョン、17)が合流し、「ビックバン」の基礎の枠組みが完成した。

「勉強も友人も、ひいては修学旅行まであきらめたまま、10代の時代のすべてをささげたわけです。しかし、後悔なんかまったくしていません。夢に向かって進んでいくことこそ、本当の幸せなんですからね。つらいたびに『いつかは報われるだろう』と自分に言い聞かせながら辛抱してきました」(太陽)

「父は挨拶さえしてくれずにため息ばかりでした。伯母さんたちにも『音楽なんかしてどうするんだ』とさんざん責められました。自分のことを理解してくれる人が誰一人いなかったのでとてもさびしい思いをしましたが、意地になって頑張りました」(テソン)

●しかし、山積した課題も

ほかの10代グループが「美男子」または「ダンディ」スタイルならば、彼らはタフで力強いイメージで差別化を図っている。大人たちの不正な裏金を10代の目で風刺したタイトル曲「ダーティー」や「She can get enough」、ハードコアヒップホップである「ビックボーイ」などは、新人らしくない覇気が感じられる。しかし、チームの認知度に比べ、まだこれといった代表曲がないということが弱点だ。彼らも首を縦にしながら「これからは一曲で長い間活動する予定です」と強調した。

まだまだ、これからだ。「ローングラン」するために早く「アイドル」というイメージから脱することが必要で、「ビックバン」ならではの個性を見つけるため、ヤン・ヒョンソク代表取締役の陰からもいつかは抜け出さなければならない。ところが、彼らは「まだ、私たちにはたくさん時間がありますから」と余裕を見せる。

「先輩たちの影から完全に抜け出しきることは難しいでしょう。だって、私たちにも『ビックバン』の運命が、これから先どうなるかわかりませんから。ただ、音楽は明るくて陽気なものだし、音楽に臨む態度は真剣で誠実なものにしたいと思います。こうやって毎日こつこつやっていけば、いつかは本当に咆哮するような日が来るでしょう」(スンリ)



bsism@donga.com