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世俗の悩みを忘れ、冬の水墨画の中に

Posted January. 06, 2007 06:47,   

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真冬に訪れた山寺の細道。落ち葉は散り、人の足は絶え、寂しいことこの上ない。灰色の空の雲にさえぎられた太陽。ぼやけた日がさが美しい。歩いてみた。足元で落ち葉がかさかさと趣のある音を立てる。催促する人もなく、あてどなく歩き回っても良さそうな冬の日。そこで出会うこのような風景が良い。慶尚北道浦項市(キョンサンブクド・ポハンシ)にある内延山(ネヨンサン)の宝鏡寺(ボギョンサ)渓谷、青松舟巖山(チョンソン・チュアムサン)のチュサン池に冬の旅に行ってみよう。

●謙齋・鄭敾の眞景山水画の舞台である内延山谷

驚いたのは記者だけではない。みな同じだ。「いや、こんなに良い所があったとは」。宝鏡寺渓谷(内延山宝鏡寺郡立公園)のことだ。事実、駐車場に車を置いて山寺に上がる途中は失望の連続だ。列をなした食堂や記念品店のせいだ。しかし、一柱門(イルチュムン)を経て境内を見回した後、谷の細道に入ってからは、考えが変わる。完全に別世界が繰り広げられるからだ。自分も知らぬ間に感動の言葉が出る。

浦項の人たちがここを「小金剛(ソグムカン)」と紹介した時には、ほらだと思った。しかし、次から次へと繰り広げられる美しい谷の景色に、今や表現の限界を感じる。謙齋(キョムジェ、鄭敾・韓国的珍景山水を絵にした朝鮮中期の画家)も同じだったはずだ。1733年、ここ清河縣(チョンハヒョン)監に任命された謙齋。彼もやはり、この谷でこの山水に酔って絵を描いたであろう。私のようにその限界を嘆きながら。当時、彼の目に映った山水は今、「内延山サムヨンチュ」という絵にそのまま残っている。

白い岩で構成された美しい谷。真冬なのに、水は変わらず流れていた。大きな山の深い谷は、このように水が乾かない。岩の上に続く稜線。そこは堂々とし、大胆で、豪気で、青々とした高い松の木の舞台だ。大きな岩一つをしっかり握った絶壁の老松一つ。紙と墨に濃淡のある東洋画のようだ。

谷の端に続く細道。一人が歩くのにぴったりの狭さだ。険しくもなく、かと言って単調でもない。岩もあり、土の道もある。曲がったり回ったりもする。子供たちと一緒に歩いても良さそうだ。右側に繰り広げられる谷の景色。大きくも小さくもなく、二つの目で見るのに適当な規模だ。しかし、30分くらい歩いて峠を一つ越えると、谷はものすごい大きさになる。滝の地形はそこから始まる。十二滝のこの谷で最初に出会う双生滝がそこにある。二つの水が一つの沼に流れ落ちるまれに見る秘境だ。滝の中でも白眉と言われる観音(クァヌム)滝は、ここから40分ほどさらにう上がらなければならない。ここまでは散歩のつもりでも行ける。

新羅(シルラ)時代に建てられた宝鏡寺は、内延山谷の最上の場所に宿った古寺だ。太白(テベク)山脈の深い谷の中でも、内延山連峰に半月模様で囲まれた形だ。寂光殿(チョックァンジョン)、大雄殿(テウンジョン)など建物が大小合わせて14軒。仲良く話をするように、その配置が睦まじい。寂光殿の敷居の下の木製ヘテ像と、その下に置かれた玉石の台は、他の寺では見られない珍しい遺物だ。浮屠と成真国師碑もやはり宝物で指定された貴重な遺産だ。お寺の入口に置かれた花崗岩の水盤。その甘露水の水面に映った寺の風景はぜひ見てほしい。

●氷に閉じこめられた大きな柳の木の風景が美しいチュサン池

冬のチュサン池は固く凍りついていた。春と夏、秋の間、常に明鏡止水を維持し水に浸った大きな柳の木を鏡のように全部映し出したガラスの水面。とうとう冬将軍に押され、灰色の氷に変わっていた。しかし、それまでも素晴らしい。大きな柳の木も同じだ。葉が全部落ちたが、優雅な姿だけは以前と同じだ。

水の代わりに何もかもが氷に変わった冬のチュサン池。氷の上に薄黒く見える裸木の陰は、風変わりな趣を漂わせた。飾り気なくありのままに近づいてくる自然の形象。人間の浅い考えでは期待も予想もできない限界の向こうの超越的実体であるため、素敵で貴い。

チュサン池を取り囲んだ湖畔の細道。氷の湖を歩く気分も良いが、チュサン池に上がり下る山道も魅力的だ。わずか10分あれば上がれる物静かな山道。一時間でも歩きたくなるほど爽快な道だ。暖かい日差しの冬の朝なら、なおさらだ。葉が落ちた木の枝の間にこぼれ落ちる純度100%の日差しのシャワーのおかげだろう。蛇足だが、チュサン池は、映画「春・夏・秋・冬そして春」(金ギドク監督)に出るあの池だ。



summer@donga.com