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東亜新春文芸の戯曲部門、話題の共同当選者

東亜新春文芸の戯曲部門、話題の共同当選者

Posted January. 01, 2007 03:39,   

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●「便器」のホン・ジヒョン

「便器」という題から目立つ同作品は、最初から審査委員の目を真っ先につかんだ。

神を便器にたとえた発想が奇抜だったし、単幕劇の風情をよく生かした才気はつらつとした作品だった。

しかし、審査委員たち(演出家の韓泰淑や金テウン)は迷った。「満18歳」という若い年齢のせいで、本当に自分で書いたものかどうか半信半疑した挙句、最終決定を控えて、本人に電話をかけて確認質問をした末、受賞者に選んだ。

「世間の権威に対する服従を話したかったのです。演劇の舞台では強い象徴が必要でしょう。最も高いものと最も低いものが会ったら面白いのではということで、神と便器を登場させたわけです」。

東亜(トンア)新春文芸の最年少当選者であるホン・ジヒョン(19)氏は、現在、成均館(ソンギュングァン)大学薬学学部1年を休学している。

「李康白(イ・カンベク)先生の作品が一番好きです」と語る彼女は特別な文学勉強よりは戯曲を一所懸命に読んだという。休学しながら6ヵ月間、3本の習作を「ただ書いてみた」。そのうち、「便器」はわずか1ヵ月で書き上げたものだ。「両親に当選のことを言ったら、はじめは信じてもらえなかった」と笑った。

ホン氏が歩んできた道は、同年代の人々とは少し違う。京畿驪州郡(キョンギ・ヨジュグン)で中学校を卒業したあと、個人的な事情で高校への進学のかわりに検定試験を受けた。文学が好きだったが、「4年間我慢して薬剤師の資格証を取ってから、やりたいことをやりなさい」という大人たちの勧めで薬学学科に入った。

「便器」にはこのような過程で胸にしめておいた彼女の考えが溶け込んでいるようだ。「便器」でまじめな若い修道僧は、便器の姿をしている神にたいして懐疑を抱くが、後では恐れのために便器に服従する。

「『小さい(?)時』は本当にやりたいことをしならが生きるべきだと思っていたんですね。『世間は厳しい。食べていかなければならない』という大人たちの言葉をすべて受け入れるわけにはいかないが、世の中を生きていくことへの恐ろしさは少しずつ変わってきているようですね。しかし、『便器』のように私たちが信じているのは虚像であり、本当に正しく美しいのは別にありうるのではないでしょうか」。

戯曲のみならず、小説やドラマ、シナリオなど、さまざまなジャンルに関心があるというホン氏は、新春文芸を準備しながら、大学入学試験も再び受けた。ソウル大学社会学部と延世(ヨンセ)大学経営学科に志願していて、合格発表だけを待っている。新春文芸の当選で悩みがまた1つ増えた。ホン氏は、「作家の夢をかなえるためにソウル芸大の劇作科へも志願するかどうか悩んでいる」と述べた。

●「案山子」のチュ・ヒョクジュン

「オ・テソクの戯曲をすくなくとも10回以上書き写してみたのにちがいない」。

「習作もたくさんしてみたようであり、実際、演劇舞台には非常に慣れている人だ」。

最終審査で審査委員たちは応募作「案山子」を相手にこのような推測をした。

案の定、「案山子」で戯曲部門に当選したチュ・ヒョクジュン(37)氏は、オ・テソク演出の教え子(ソウル芸大劇作科)であり、オ氏が率いるモクファ・レパトリー・カンパニ所属の役者だった。劇団の企画も担当している彼は、習作だけでも50本以上ある「すでに準備のできているプロ」だった。「すぐに公演しても遜色がないほど完成度が高く、文章が安定している」という審査評価は当然といえば当然かもしれない。

モクファに入団して8年目。大学を卒業した後、オ演出の勧めで役者になった。「ロミオとジュリエット」の坊主頭の神父など、主に個性の強い「キャラクター役者」として、演劇や映画でも活動している。

しかし、新春文芸への未練を捨てきれず、1年に4遍ずつ地道に作品を書き上げ、02年からは毎年挑戦した挙句、今回当選した。大学路で彼の当選は話題を呼んでいる。「既成役者」である彼が、なぜあえて新春文芸に応募したのだろうか。

「自分への存在証明みたいなものですね。作家としての存在感を持ちたかったのです。文章が書きたくて28歳のとき、劇作科に遅れて入ったんですが、演技をしているうちに、作家としては呼ばれなくなるのではという気がしました」。

チュ氏は「一生の師匠」であるオ・テソク演出が当選の知らせを聞くや否や、自分を「チュ作家」と呼んでくれたので、なにより幸せだという。



sjkang@donga.com