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夫の悲劇、その後…歌が私の生の理由 ソプラノ・ユ・ヒョンアさん

夫の悲劇、その後…歌が私の生の理由 ソプラノ・ユ・ヒョンアさん

Posted December. 20, 2006 03:02,   

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●デビュー・アルバムはバッハ−モーツァルト・アリア

それから13年後。19日、ソウル・ミレニアム・ソウル・ヒルトン・ホテルでソプラノ・ユ・ヒョンア(37)さんに会った。医者になろうとしていたユさんは、世界的なアルバム社であるEMIクラシックでデビュー・アルバムを出し、声楽家になり、息子のダニエル(14)君は美少年に成長した。

「空が崩れ胸がちぎれるようにつらかったです。私の命を生かしてくれたのは音楽でした。歌を歌ったから生き残られ、希望を見つけ、生きて行かなければならない理由を見つけました」

あまりにも多く泣き気絶までしたユさんに、お姉さんは歌を勧めた。幼い時、聖歌隊で活動したユさんは1993年、ピーボディ音大に入学した。悲劇は忘れられていた才能を咲かせた。ユさんは1999年秋、マルボロ・ニューイングランド・バッハ・フェスティバルで、「マタイ受難曲」でデビューし、世界的なピアニストである内田光子とリチャード・グードの推薦で03年、英国BBトラスト賞を受賞した。今年は、ニューヨーク、ロンドン、ウィーンで幕が上がったモーツァルト・オペラ「ザイーデ」で主役をした。

「EMIクラシック・アーティスト」に選定されたのは、韓国人としてはサラ・チャン(チャン・ヨンジュ)、チャン・ハンナ、チョン・キョンファ、イム・ドンヒョクさんに続いて5番目で、声楽家としてはユさんが初めてだ。初アルバムは、モーツァルトの「楽に休みます、私の愛」(ザイーデ)、バッハ「今ぞ去れ、悲しみの影よ」(結婚カンタータ)、バッハ「甘き慰め、わがイエスは来たれり」(カンタータ151番)などで構成した。

●27〜30日、ソウル市響と送年舞台

「デビュー・アルバムなのに静かで、派手でない曲を選んだのが、納得できないようでした。私の心を癒してくれた曲だから、多くの人々も慰められると思います。特に、バッハの音楽は、ものすごく人間的であると同時に神聖です。深い苦痛と痛み、渇望がありながらも、言葉では言い表せない喜びと救援、容赦、平和が盛り込められています」

高校時代、「私の手になりなさい」という神様の音声を感じた後、医者になることを決心した彼女は、「声楽家の道を進んでますが、音楽で人々を治癒するという点では、同じ道を歩いているわけ」と話した。

ユさんは27、28、30日、世宗(セジョン)文化会館と城南(ソンナム)アートセンターで、チョン・ミョンフンさんが指揮するソウル市響の送年音楽会に立つ。公式的な韓国デビュー舞台だ。

「アルバムを出し、オペラに出演し、大きな仕事をするたびに、一番惜しいのが夫と一緒にすることができないということです。まだ夫があまりにも懐かしく会いたいです。それで、本名の『朴ヒョンア』でなく、夫の名字を取った『ユ・ヒョンア』で残りたいと思います」

インタビュー始終、ユさんは陽気な声と笑いを見せてくれた。時たま、目頭が赤くなった。彼女はまだも泣くと言った。彼女はたぶん死ぬまで、音楽の治癒が必要かも知れない。ユさんは、「苦痛は、神の姿を完全に見られるようにしてくれた祝福だった」と語った。



raphy@donga.com