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曽野綾子の戒老録、「年を取るにも知恵が必要だ」

曽野綾子の戒老録、「年を取るにも知恵が必要だ」

Posted November. 21, 2006 06:36,   

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秋の青い木々はぎこちなくて馴染み薄い。秋の木々は冬の支度をする時に、一番自然だ。紅葉が美しい理由がここにあるのではないか。人が年取るというのも、また、秋の山を色とりどりの紅葉で染める木々のように、そのように自然で美しい現象であろう。

この本の著者は小説家だ。しかし、「人から楽になれる方法」「前向きに生きる楽しさ」「今日を感謝しつつ」など、人生に必要な箴言書のような本の著者としても有名だ。現在80歳に近い彼女は、37番目の誕生日にこのような覚悟を決めた。「私も人生の後半に入った。老年に警戒すべきことを書いてみよう」と。この本には、そのため戒老録という副題が付いている。彼女は40歳の時に書いたこの本の序文に、60歳以上の方は読まないでほしいと書いた。あくまでも自分のようにちょうど年取ったという事実を認識し始めた30、40代のために書いた本だからだという。その一方で、「人生に定説はない」と言う。この本に書かれたことが誰にでも適用されるわけではなく、誰でも反論を提起できるという意味だ。

いくつかの例を挙げてみよう。「家族同士なら何を言ってもよいと思ってはいけない」「若かった時より自分にさらに厳しくなること」「普遍的に自分が正しいと思わないこと」「お金があれば全てよしという考えは浅はかだ」「平均寿命を過ぎたら公職に付かない」「この世を去るまで、ものを減らしていくこと」「毎日適当な運動を日課にすること」「老年の一番素晴らしいことは、人間同士の和解」。この中に間違った言葉は一つもない。いやむしろ、よく聞きよく知っている言葉なので、つまらなく感じるほどだ。

「他人の生活方法に口出ししないで、ありのままに認めること」「ひねくれた考えは低劣な行為、意識的に直すこと」「老人という事実を失敗の言い訳にしないこと」などが持った言葉の残酷さに暗に腹立ったりする。「老人になってからは早寝早起きすることより、遅く寝て遅く起きる習慣を身につけること」という文を読んで、「なるほど」と思わざるを得ない。書き手は読者のこのような反応を期待する。読みながら共感したり、反感を覚えたり、苛立ったり、怒ったりもする…。そして究極的には読者自らが自分だけの「戒老録」を作ることを望む。私は一つだけ付け加えたい。「年を取っても愛は避けないこと」

70歳を控えて書いたこの本の3番目の序文で、著者は「人はいつまでもその人でいる」ことが良いことに気付いたと告白する。人間は最後まで不完全なのが自然だということだ。だからこそ「戒老禄」のこの本を読んでみることだ。私はどれほど不完全な存在かを確認し、その自然さを満喫するためにも。時間はだんだん減っているから…。