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生ける者よ、歩め

Posted November. 17, 2006 06:55,   

한국어

そうだ。頭が痛くなる時は、足を動かさなければならない。ずきずきと頭の中が痛み出したら、「ぶらぶら歩く」のが一番だ。子犬を先に立たせ、冬のあぜ道を歩いてみろ。何もない野原に出てみろ。曲がりくねったあぜ道は、「父親の肩」のように安らかだ。すべてを手放した野原はきれいさっぱりとしている。穀を払い落とした稲藁も気楽に寝そべっている。鳥たちはその藁くずの間をついばみ、一心に米粒を探す。夕暮れ、子供の手を取って、ゆっくり歩いて村を一周してみろ。胸に川のような平和が押し寄せる。路地ごとに、風味豊かな味噌汁と、辛くておいしいチゲ(汁物)の匂い。あちこちで犬のほえる声。門の開く音。人の生き様なんて、みんな似たようなものじゃないか。ふと、「私はだれなのか」「私はなぜ、ここでこうしているのか」という考えが沸き起こる。

人の身体はもともと、柔らかくでこぼこの道をうまく歩けるように作られている。平らで固いところは合わない。アスファルトを歩くと、身体に衝撃が走る。芝生や土の道がよい。歩けば、想像力が羽ばたき始める。アイデアがひらめく。室内に座って討論をすれば、理屈が先に立つ。静かで緑に包まれた森の道がよい道理だ。たくさんの書類に取り組まなければならない会社人間は、仕事がはかどらないとき、しばらく歩くのが効果的だ。普通、2時間働いたら、20分ほど歩くのが適当だ。休憩時間にコーヒーやジュースをすすりながらおしゃべりするよりも効果的だ。足を動かせば動かすほど、脳が活性化する。脳へ行くエネルギーの供給が活発になり、脳ホルモンの分泌が旺盛になる。ストレスがたまった時も同じだ。ちょっと長い距離を早足で歩けば、洗い流されるようにストレスが消える。部下をしかる時も、一緒に並んで歩きながらしかれば、当事者の気持ちが少しはやわらぐ。誉め言葉は中で、叱責は外でしなければならない理由だ。

ウォーキングは、両足のうち一足が土についている。しかし、ランニングは両足がすべて宙に浮く瞬間がある。ウォーキングは体重の1.2〜1.5倍の衝撃を与えるが、ランニングは体重の3〜5倍の衝撃を与える。その分、膝や腰に負担がかかる。ウォーキングはわざわざ時間をかける必要もない。高層マンションや会社を上り下りする時に、階段を利用すればよい。バスや地下鉄で通勤する場合は、目的地より一つか二つ前の停留所で降りて歩けばよい。歩く時は、「万歩計、心拍数測定器、水」が必須。最近は、速度、時間、距離、カロリーの消費量まで示す万歩計もある。歩き終えたら、足を高くして血を逆流させるのがよい。足裏をこすったり、親指で押したり、足指を一本ずつ軽く引っ張っても疲れがとれる。冷水と温水を交互に5、6回ずつ足湯をしても効果的だ。

寒風を切って、力強く前へ進む冬のウォーキングは、頭をすっきりさせる。冷水浴をしているみたいだ。ソウルの南山(ナムサン)道、慶煕宮(キョンヒグン)の内側から貞洞(チョンドン)を経て、徳寿宮(トクスグン)の石垣につながる道、一山(イルサン)の湖水公園道、南漢(ナムハン)山城道、聞慶(ムンギョン)セジェか大関嶺(デグァンリョン)の旧道、東江(ドンガン)沿いの旌善(ジョンセン)から寧越(ヨンウェル)まで続く道、月精(ウォルジョン)寺から上院(サンウォン)寺に続く土の道、纎津江(ソムジンガン)に沿って歩く求礼(クレ)〜河東(ハドン)の道…。雪の降る日、その道の上に立って、はるかに見えなくなる一点を眺めると、自身の生に身震いする。

ウォーキングは一瞬、「自分の身体で生きること」だ。筋肉を使って「世の中の波」に立ち向かうことだ。歩いていれば、「ああ私は生きている」という言葉がおのずと出る。この世には二種類の人間がいる。「歩く人間」と「死んでも歩かない人間」。人は横になるときに死に、歩くときに生きている。