Go to contents

愛憎の跡に文学が花咲く

Posted November. 04, 2006 07:27,   

한국어


『グレート・ギャツビー』の作家スコット・フィッツジェラルドと『武器よさらば』の作者アーネスト・ヘミングウェイのうちどちらのほうが立派な作家なのかと質問するのは愚問だろう。「とにかくノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイ」と答える人もいるだろう。しかし、米国出版社のランダムハウスが選定した20世紀の最高小説に『グレート・ギャツビー』が2位に選ばれ、ヘミングウェイの『陽はまた昇る』(45位)と『武器よさらば』(74位)を圧倒したという点を勘案すれば、反対意見も多い。

しかし、二人がお互いをどう考えたかは違う問題だ。二人の友情と競争を書いたこの本にはそれに対する答えが出ている。ヘミングウェイだ。

どうしてヘミングウェイか。

「180cmを超える身長、85kgもある壮健な体格、黒髪にハンサムだったヘミングウェイは、172cmの身長と65kgを下回るほっそりした体格に金髪であるフィッツジェラルドと大きな対照を成した。さらに、ヘミングウェイは誰も追従できないカリスマを持っていた。その時代、老若男女みんなヘミングウェイが好きだった。これと対照的に、フィッツジェラルドは男性たちの間の関係において特に下手だった。彼には相手を英雄とおだてる傾向があったが、そのため互いに気まずい時が多かった」

二人の作品の世界をよく知っている読者なら、『マッチョ』ヘミングウェイと『メトロセクシュアル』フィッツジェラルドのイメージを容易に描くことができるだろう。しかし、意外に二人の共通点は多かった。二人とも米国中西部の中間層家庭で生まれており、親に対する反感が大きかったし、若い時の失恋の傷を文学的な動力にした。お酒に溺れてアルコール依存症患者になったという点も同じだ。

1925年、パリで初めて会った時、客観的な地位は4歳年上のフィッツジェラルドが高かった。中退はしたものの、プリンストン大学出身だったし、すでに作家としての名声を築いた状態だった。ヘミングウェイは短編集1冊程度しか発表しなかった高卒出身の新人で、フィッツジェラルドの強い推薦で登壇した。

それにもかかわらず、ヘミングウェイはいつも堂々としていたし、フィッツジェラルドはいつもヘミングウェイの歓心を買おうとした。「成人の男性たちの立場でもヘミングウェイについての彼の賛美のレベルは当惑するほどだった」という周辺の証言が出るほどだ。

ヘミングウェイはフィッツジェラルドの優雅な審美眼に対する気まずさをフィッツジェラルドの俗物根性に対する攻撃に代えた。

二人の関係で、ヘミングウェイが加虐的だったとすれば、フィッツジェラルドは被虐的だった。それで絶交を宣言したのもヘミングウェイだった。ヘミングウェイに捨てられたが、フィッツジェラルドは末年に「もう小説を書かない。ヘミングウェイが私のすべての作品を無用にさせた」と吐露するほどに、ヘミングウェイの文学性を認めた。

ヘミングウェイ学会の会長である著者は、このようなヘミングウェイを冷静なエゴイストだとそれとなく話す。しかし、二人がお互いに刺激を受けながら繰り広げた激しい競争意識の結果についてはどちらかに軍配を上げることが難しい。人生は短いが芸術は永遠だという話を考えさせる本だ。原題『Hemingway vs. Fitzgerald』(1999年)。



confetti@donga.com