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男性フェミニスト、女性の味方

Posted October. 17, 2006 07:07,   

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今や、女性と男性について違いは語れても、女性が男性より劣っていると堂々とは言えない時代になった。「平等」の概念に議論の余地はあるが、女性と男性が平等になるべきだという社会的なコンセンサスがなされているからだ。しかし、マスコミやネチズンの間で、女性問題が絶え間なく議論され、「女性と男性はほとんど平等になった」、「もうこりごりだ」、「むしろ男性が逆差別を受けている」などの反応が堰(せき)を切ったように出ている。女性と男性の平等とは、常識と教養になり、社会ががらりと変わった今、女性主義に対する反撃はすでに始まっている。

たびたび「テンジャン女(ブランド品ばかりを追っかけまわる女)」が「コルフェミ(極端的なフェミニストを蔑む俗語)」と同一視されるようになり、自分がフェミニストだと主張するには、自分も同姓愛者だと名乗るほどの勇気が必要になった。このような状況の中で、何のわだかまりもなく、自分はフェミニストであり「女性主義こそ男性の命」と言いきる「男」がいるが、ほかならぬこの本の著者だ。

自分がフェミニストだと語る数少ない男性は、男性のみならず女性からも疑惑の眼差しで見られている。男性たちの反応は十分推し量ることができるのでここでは省くが、女性たち、特に女性フェミニストのなかには、男性フェミニストという「矛盾した語法」がすでにその矛盾を物語っていると思われる人々がいる。

しかし、この本は「セックスとジェンダーが一致するか」、すなわち「女性だけがフェミニストになれるのか」「フェミニストになるためには『資格』が必要なのか」「真なるフェミニストは女性だけが経験できるものからくるものなのか」などの質問を投げかける。

性別化された権力構造のなかで、恩恵者の男性が、それを気持ちよく感じるのは、ある面では当然なことだから、権力者の男性たちがそのような恩恵の不当さに問題を投げかけるのは容易なことではない。しかし、著者は「大韓男性民国」では抑圧の加害者で、共謀者が男性だということから、実は「女性の問題」ではなく、「男性の問題」だと言い切っている。

著者は「男性として女性の肩を持っているわけではなく、女性主義が根本的な正義であり、また、恩恵者としての自分自身を認識するので、女性主義を支持するほうを選ぶ」と説明している。

著者はこのような態度はアイデンティティを有し、女性の性的な自己決定権、権力の男性優位現象、男性の士気高揚、サイバーでの男性優越主義者、売春取り締まり特別法、軍隊など敏感な問題を真っ向から取り扱っている。

女性フェミニストがこのような問題を扱ったら、偏っていて、偏狭で、被害意識の持ち主などという反撃を受けるだろうが、男性フェミニストを自称する著者の診断は「女性の味方」という言葉をはっきり使っているにもかかわらず、ある程度は客観的だという印象を与えている。頭では分かっていて同意もするが、心が動かない、何ともいいようのない拒否感を感じ、また繰り返される性の対決という構造にもどかしさを感じる男性や女性たちはこの本を読んでほしい。韓国の社会現象や文化についての分析なので、気軽に読めるからだ。