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「男」の中に隠された萎縮した子ども

Posted October. 11, 2006 06:49,   

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「七つの男性コンプレックス」は、男性ではない女性たちが書いた本だ。著者たちは序文で「私たちは女性の目で男性の存在を見直す難しい作業を始めようとする」ことだと明らかにしたが、彼女たちの試みは男性をこれ以上敵対的な対象ではなく、一緒に生きていくパートナーとして見ているという点で、その意味は大きい。同時に男性の立場では女性の目に映った自分の姿を理解することで、韓国社会で男性として生きていく自分の姿を振りかえてみるきっかけになるだろう。

この本で、著者たちは男性についての世論調査の回答に基づき、男性の役割に関するコンプレックスを体系的に分析した。本が紹介する男性コンプレックスは外面的には伝統的な男性が標榜する「強くて能力のある男性」を守ろうとするが、内面的にはその反対を秘密裏に追い求めようとする自我像の間の乖離を反映する。

このような乖離は、「オンダルコンプレックス」を持った男性が、表向きでは「できるだけ妻の実家での暮らしはしない」といいながらも「できれば、配偶者や妻の実家が経済的な余裕があったら…」と内心願う二重性でよく現われる。

心理学者のカール・ロージャス氏によれば、人間が他人の期待に合わせるために自分が経験する世界を否定すれば、理想的な自我像と現実的な自我像の間の乖離が生じ、その乖離が大きいほどもっと大きなストレスを経験すると述べている。すなわち、二重的な姿で暮す韓国の男性たちは困難な状況にいると言うほかない。

「英雄の外面の中に隠された萎縮した子ども」の姿を持った韓国男性が、伝統的な家庭の解体、終身雇用概念の喪失、急変する社会のニーズという荒波に立ち向かいどんな心得を持たなければならないのか。これについて著者たちは「皮だけの支配意識をぎゅっと握りしめた寂しい男性より、泣くことができ苦痛と悲しみを話すことができ、また、他人の話に耳を傾けることができ、家族に愛される男性になろうとする勇気が必要だ」と暫定的に結論を下す。

ここに共感しながらも残念に思うのは、韓国の男性が家庭と社会の発展に寄与した部分についてもっと暖かい見方があったらという点だ。著者たちは「孤独な父親」像や「男性らしさ」を世相に適応することができなかった姿、または「皮だけの支配意識」という否定的な見方で眺めるが、家族のために犠牲し成就のために邁進する姿が、近代韓国社会を発展させた原動力だったという点も否定できないだろう。

心理学者のミラー氏とロールニック氏が、矛盾感情は変化の必須要素だと見たように、ありのままの現象が満足であれば、特別変化は必要ないだろう。男性コンプレックスで現われる誇張された外面と萎縮された自我像の間の乖離を、否定的な問題だけに見るのではなく、変化された世相に適応する過程の陣痛であり、その中に芽生えた変化への意志を読み取る肯定的な見方が必要ではないか。

男性が女性と同等にパートナーとして生きていく社会を作るために「七つの男性コンプレックス」は、変化の重要性に対する認識を強調した有意義な試みだと評価することができる。