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蓮の花の海、仏様にっこりと笑う

Posted August. 25, 2006 03:03,   

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タコと蓮の花、そして演劇『プムバ』の本場、全羅南道務安郡(チョルラナムド・ムアングン)。この素朴な全羅南道の味と趣の故郷である務安は半島だ。海による黄土の谷、出入りが複雑な海岸線、そこに積もりに積もった泥土の干潟天国だ。陸地と海を持つ潤いの地。それで柔軟で急がずに、広く施す。蓮華とプムバが務安の象徴になったのは偶然ではない。務安に旅立つ。

日がのぼる朝。忙しいのは鳥たちの空だけではない。務安の蓮華池も慌しい。一晩で白蓮の花びらを咲かせる音だ。静中動。咲いたようでそうでないような不明瞭な姿はある瞬間ぱっと咲いた花に変わる。

泥の中でもきれいな花を咲かせる蓮華(写真)。葛が散るか枝打ちせず、中は空でも表は真っ直ぐで、きれいに洗っても妖艶(ようえん)でなく、見つめて目を楽しませることはできても、手でもてあそぶほど軽んじることができず、遠いほど香ばしくて…。それで君子と呼ばれる花。霊山会上図で迦葉尊者が拈花示衆の微笑みで仏様に回答する時、仏様が持っていたのがまさにこの花だ。

10万坪の回山(フェサン)にある白蓮池(ペンニョンジ・一老邑)。蓮の上にそっと咲いた白蓮の花で飾られている。もう10回を迎えた務安白蓮大祝祭は15日に閉幕した。しかし、いっぺんに咲く紅蓮と違い、白蓮は9月でも咲いたり落ちたりする。それで、必ず祝祭期間に行かなくてもよい。

務安半島。東高西低の低い丘陵が氷河期が終わって上昇した海水面で海に沈みながら形成された特別な地形だ。水に沈むことがなかったら、隣の「島の王国」新安郡(シナングン)は務安とつながった陸地だっただろう。

海に浸食される地なので海岸線の出入りが複雑極まりない。干潟と砂浜はそれで発達する。名前もユニークだ。ホルトン(とっくりの瓶の首)、チョグムナル(狭い渡し場)、タルモリ(月頭)、トンモリ(ノコギリの頭)、ソルマル(松峠)、トリポ(道理浦)…。車で走ると、このような干潟と浜辺が前後左右に随時に現れてはまた消える。それで、地形が分からない人は方向感覚を失って当惑したりする。

務安半島の北端の海際面(ヘジェミョン)。町内から行くと、海際に向かう国道24号線の両側に海が広がる。左側は西海(炭島湾)、右側は咸平(ハムピョン)湾。海際と務安を結ぶこの長めの地形(玄慶面)はまるで防潮堤を連想させる。務安の有名な浜辺であるホルトン(遊園地)がここにある。この近くのポンオ峰を越えると、「ウンジョリビビンパ」と書かれた広告看板がたくさん見える。ウンジョリとはハゼの全羅南道の方言。今が食べ頃のハゼを刺身にして麦飯にのせて、混ぜて食べる地方の独特な食べ物だ。

ホルトンとはとっくりの瓶の首。海で突き出た長めのこちらは周辺と違い、一面が白い砂浜だ。風も少なくウインドサーフィンの名所だ。その反対側(咸平湾)にも似たような突出した地形があるが、そこがタルモリ(月頭)だ。黒松の木が森を成した野山の下の砂浜辺が400mほど続く。停泊の施設がなくて漁船を浜辺に縛りつけておいた物静かな漁村だが、最近、干潟体験プログラムを作って観光客を引きつけている。

キャンピングの名所はホルトン南側のチョグムナル。陸地(望雲面)と砂浜に構成された突き出た地形だが、松林周辺の一面は干潟だ。「ナル(渡り場)」という名前が付いたのは干満のの差が一番小さなチョグムには砂浜が水に沈み渡し船が行き交ったからだ。その砂浜の上に堤防を積んで自動車が行き交う陸地になった。炭島(タンド)が正面にある。船着場にはハゼ釣りが盛んで、松林の陰の中はテントで一杯になった。

「4000回公演」の大記録を立てた演劇『プムバ』。そのメッカは一老邑(イルロウプ)だ。時は1981年。住民の集まりである「イニ芸術会」がウィサン里の天使村(乞食のテント村)で採録したプムバタリョンを素材にして、青年会議所で初公演を行った。1920年代に形成された天使村は1980年代末まであった。現在はすべて去って、その跡はヨモギの茎と米国ヤマゴボウに覆われた。近くに「プムバ」の演出者の金詩羅(キム・シラ)氏(2000年死亡)の生家がある。



summer@donga.com