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「悪い男」が善良になった?

Posted August. 18, 2006 03:00,   

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金基徳(キム・ギドク)監督の映画は、「暴力的」「反フェミニズム」などの理由から一般の観客には何となくとっつき難く感じられる点が多かっただろう。しかし、24日に上映される『時間』は、より多くの人にアピールできる映画だ。

むろん、顔に穴をあけて骨をけずる赤裸々な整形手術シーンや、金基徳監督特有の重い哲学的な省察を負担に感じなければの話だが。

2年間付き合った恋人セヒ(朴チヨン)とジウ(ハ・ジョンウ)。セヒは、ジウが心変わりしたと思い、「ほかの女性が彼を見るだけで、目をえぐりたくなる」ほど神経を尖らせていた。ジウは、そんな彼女に疲れを感じるようになる。ある日突然、セヒが姿を消してしまう。6ヵ月後、整形手術で姿を変えたセヒは、「セヒ」という名前でジウに近づくが、ジウが愛するのは以前の自分であることを知る。セヒの正体を知ったジウは驚くが、彼も新しい姿になった彼女から去り、セヒは彼を探しさ迷う。

人間が最も恐れるのは、時間かもしれない。セヒ、いやセヒの言葉のように、「すべてを変えてしまう時間」だ。時間をつかまえておくために、セヒは整形手術を受ける。病院のドアには「新しい人生を望みますか」という文句が書かれてある。肉体が変われば、本当に新しくなるのか?しかし、生まれ変わった彼女はジウの心を知り、過去の自分に嫉妬しなければならない状況に陥る。実は、ジウは私たちみなが分かっているように「愛していないのではなく、ときめきが冷め、体が冷め、情熱が冷めた」だけだったのだ。

映画のクライマックスで、また整形手術をしたセヒは以前の自分と病院の前で出くわす。彼女の話は終りではなかったのだ。ジウとセヒ、あるいはセヒが会うカフェ、ある島の彫刻公園などの空間が登場する。金基徳式の映画らしく、時間と空間が反復して循環し、その中で2人、いや3人は混乱する。

本当の愛とは何か、存在とは何であり、そこで肉体はどんな意味を持つのか、映画は絶えず考えさせる。監督の言葉によると、「時間を耐えるのが人間であり、反復の中で新しさを追い求めることが愛だ」そうだ。至極いいメッセージだ。試写会で会ったある評論家は、「金基徳がとても善良になった」とつぶやいた。

愛する女性がいながらもほかの女性と寝ることが嫌ではない普通の男性たちの心理(そうでない男性たちには申し訳ないが)をよく表現したハ・ジョンウ、狂気じみた姿を演じた成賢娥(ソン・ヒョナ)の演技は印象的で、彼らのかけ合うセリフには意外なユーモアがある。整形前にセヒを演じた朴チヨンと整形後のセヒ役の成賢娥が妙に似ているのも興味深い。

チェコのカルロビ・バリ映画祭の開幕作。18歳観覧可。



yourcat@donga.com