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金ギドクの「ため息」、ボン・ジュンホの「心配」

金ギドクの「ため息」、ボン・ジュンホの「心配」

Posted August. 09, 2006 04:30,   

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7日午後、ソウル鍾路区(チョンログ)にある劇場で開かれた金ギドク監督の新作『時間』の試写会。金監督は真っ黒のサングラスをかけていた。「知り合いたちの顔を見ることができないので」というのがその理由だった。

金監督は、「これからは、韓国で私の映画を封切りしないつもり」と宣言し、人々を驚かせた。昨年から韓国マスコミに一切姿をあらわさなかった金監督は同日、決心したかのように、これまでのくやしい心を打ち明けた。一昨年のベニス映画祭で彼が監督賞を受賞した『空き家』は9万5000人、昨年、単館封切りした『弓』はやっと1400人ぐらいが観覧した程度。芸術映画を配給する映画社「スポンジ」がなかったなら、『時間』は海外で発売されたDVDを通じてしか見ることができないところだった。

金監督の本音をもっと知りたかったが、彼は取材に応じなかった。金監督と一緒に作業して来たカン・ヨングPDは、「興行を念頭に置いて作品を作る監督ではないが、誰が映画を一人のために作るものか。韓国映画界に対する全般的なくやしさをしめしたのだ」と伝えた。

同日、『怪物』で大当たり行進をしているボン・ジュンホ監督は、あるラジオ番組とのインタビューで、「『怪物』が1600あまりのスクリーンの中で600ぐらいを占めているのは、韓国だけの独特な状況だ。多様な少数趣向の映画を保護できる『マイノリティークオーター』のような装置が求められる」と語った。

作家主義芸術映画監督であれ、興行監督であれ、小さな映画が居場所を失いつつある現実に対し、問題意識を共有しているわけだ。

配給社や映画館のせいにだけすることはできない。映画館はお金を儲けるためにフィルムを回す。観客が入らないことがわかっているのに、芸術映画の発展のため上映せよとは言えないのだ。

韓国映画界がスクリーンクオーター縮小阻止のため立てた名分の中の一つは、莫大な物量攻勢を浴びせるハリウッド映画に立ち向かって、文化的多様性を確保しなければならないということだった。しかし、芸術映画の立場では、韓国の巨大配給社とハリウッドはまったく同じ存在かも知れない。マイナーリーグのないメジャーリーグは存在しない。ボン監督が語ったように、小さな映画も最小限の上映機会を与える保護装置を作って、「我々の中の文化的多様性」を確保しなければならないのではないか。

金監督は、『時間』に20万人だけでも入って欲しいと語った。同映画はチェコのカルロビバリ映画祭の開幕作で、現地で好評を得た。果して彼の望みはかなうのだろうか。



yourcat@donga.com