Go to contents

少女騎手と競走馬の心温かい友情作り

Posted July. 27, 2006 03:02,   

한국어

「僕が君に最初に出会ったとき、君は小さい少女だったし、髪にはスミレが…」

チョ・トンジンの「スミレ」の歌詞ように、馬は少女を見て、少女は馬を眺めた。少女は馬で馬は少女だった。そして二人は一緒に走った。8月10日封切りの『角砂糖』は、韓国で最初に人と馬の友情を素材にした映画だ。ハリウッド式の素材を韓国式に当てはめようとする試みだ。

済州島(チェジュド)の牧場で生まれたシウン(イム・スジョン)は、小さいころから馬の「将軍(チャングン)」と仲が良かった。将軍が「チョンドゥン」を産んで死ぬや、母のいないシウンは、母を亡くしたチョンドゥンと姉妹のように育っていく。タイトルである「角砂糖」は、馬の大好物。シウンとチョンドゥンの間の愛の媒介だ。チョンドゥンが別のところに売られて行って別れるが、2年後、最高の騎手を夢見るシウンとチョンドゥンは再会する。

以後のストーリーの進み方は誰もが予想できるものだ。

「馬を動かすのは鞭ではなくて騎手の心だ」という台詞のように、この映画は正しいことだけを口にする優しい主人公の美しい物語であるからだ。よく言えば小手先を弄せず、正直に作った映画であり、悪く言えばありふれたストーリーだ。主人公をいじめる悪役が薬味のように登場するが、「他人を落馬させてこそ生き残ることのできる」ゲームの法則を無視する主人公は、猛々しく戦って勝ち抜く。善悪の対比や人物の葛藤が簡単明瞭であるため、観客は考える必要がなく、映画は公式どおりに流れていく。しかし、この単純さが気に入らないと愚痴をこぼしながらも、「やれやれ」と結局は涙を流させるようなインパクトはある。たとえば、シウンとチョンドゥンが再会する際に、あまりにも偶然な状況にあきれながらも、切なくお互いを探しあう姿からは涙が流れるという格好だ。胸の奥深いところにまでは、触れることができないまでも。

済州島のきれいな風景は、この映画のプレゼントだ。画面は草原の輝きと土の輝きでいっぱいになる。海の見える草原で馬にもたれて眠りについたり、雨の日に馬の下で雨を凌いだりするシウンの姿は、それ自体が「絵」になる。この静寂な風景と対比される競馬場の突っ走るようなスピード感も見所だ。特殊なトレイラーをつくり、撮影装備を載せて疾走する馬に1メートルまで近づいて撮影したという製作陣の努力が功を奏している。これは、全体としてだらだらした感じの映画にポイントを与えている。

ぼさぼさカットのヘアスタイルがお似合いのイム・スジョンは、たくましく心の澄んだシウン役を見事に演じきっている。女優を「ワントップ」に起用した映画だというが、実際イム・スジョンはワントップではなく、馬とともに主演した「ツートップ」なのだ。1000:1の競争率を勝ち抜いて抜擢されたと言うチョンドゥンは、表情演技の達人。実際には外見がそっくりの馬5頭がチョンドゥン役を共演した。「なんて素敵なんだろう」という言葉がおのずと出るくらい、長い足につやつやの体も格好いいが、魅力のポイントはいつも潤っているような眼だ。

映画のラストシーン。競馬場の明るい明かりが反射して、星が織り込まれたように輝く、そして、しっとりとした馬の眼がクローズアップされる場面には、胸が打たれるようなものがある。絶対うそをつかないような眼。シウンが原則に反したライバルを「馬より劣る人間」と決め付けたように、動物が人間より優れているときがあまりにも多いというのを、同映画は訴えているようだ。12歳以上。



yourcat@donga.com