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「アリラン・フォーク」で、米国の心を開いた

「アリラン・フォーク」で、米国の心を開いた

Posted May. 30, 2006 03:08,   

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ギターを手に取って歌を始めてから、すべてが変わった。おとなしかった彼女は、友だちに自分からあいさつをする明るい子どもになり、校内のアカペラ・サークルにも入った。ニューヨーク大学への進学後に、彼女には自分が進むべき道がはっきりと見えた。「ミュージシャンになる」と言って、学校をやめると宣言した。しかし、両親は烈火のごとく反対した。

「お母さんとお父さんは、私が医者や弁護士のような専門職に就くことを望みました。そんなに音楽が好きなら、ジュリアード音楽院に行って、クラシックをしろと言いました。しかしそれでは、両親を満足させるために過ぎません。私は、そのたびに、私の気持ちを作曲で表現しました」。

20歳のスジは、両親との激論の後、『ユア・バトルフィールド(your battlefield)』という歌を作った。聞きたいという人がいなくても、カフェやクラブ、時には地下鉄の駅でこん身の力をふりしぼって歌った。有名レコード会社に飛び込み、アルバムを出してほしいと頼んで、即席の公演をしたこともあった。

しかし、「歌をうたう東洋人の女の子」に返ってくるのは、ほめ言葉よりも「青二才」という冷笑だった。そう言われれば言われるほど、スジはマイクを使わず、肉声で歌った。歌だけはだれにも負けないという抵抗だった。

自分で生計を立てなければならない貧しさ、差別、不安の中で、ひたすらギターに頼って歌い、かれこれ4年。アルバムの元プロデューサーで、EMI会長を務めた大物、チャールズ・コッフマンから連絡が来た。

「君の声が気に入った。アルバムを作りたい。」

世界的な女性ロッカーのアラニス・モリセットのプロデュースを担当したグレン・バラードがプロデューサーを引き受けると言ってきた。

ついに、彼女の人生ストーリーを盛り込んだデビューアルバムが、05年4月、ソニー系列のエピックレコードから発売された。アルバムのタイトルは、まさに彼女自身である「スージー・ソ(Susie Suh)」。ニューヨークタイムズは、この東洋系新人歌手を、ノラ・ジョンーズなどの女性シンガーソングライターと比べた。「ダイナミックでハスキーな声とメロディーは、愛を求める渇仰を最も説得力をもって歌う」と称賛した。

スージー・ソは22日、韓国の地を踏んだ。米国で活動する韓国人の姉妹ピアノトリオである「アン・トリオ」と、京畿(キョンギ)道の城南(キョンギド・ソンナム)アートセンター(31日)、ソウル世宗(セジョン)文化会館(6月8日)などで、4回の公演を行なうためだ。スージー・ソのアルバム収録曲の『ライト・オン・マイ・ショルダー』や、アン・トリオのクラシック演奏に合わせて、『オール・アイ・ウォント』などを歌う予定だ。

ニューヨークタイムズに好評が紹介された時も、娘の実力を信じなかった両親は、「韓国の新聞記者が私をインタビューすると言ったら、はじめて『お前が誇らしい』と言った」と、笑った。

彼女の声は、憧れの存在であるビリー・ホリデーのように深くハスキーであり、リズムは感傷的だ。ダンス音楽やバラードが支配する韓国でアルバムを出したら、成功は難しかっただろうと言うと、彼女は、「成功は考えない。私の音楽が好きな人がいるなら、それを感謝するだけだ」と答えた。

歌うことができて幸せだと言って、にっこり笑う彼女。スージー・ソ、いやしんの強い韓国人女性シンガー、ソ・スジだ。



bsism@donga.com