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天才か?悪女か? 彼女の生は神話!

Posted May. 27, 2006 03:00,   

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彼女はいつも白い服を着ていた。どこにいてもすぐに目立った。情熱的だったし、自信感に満ちていた。高慢と傲慢は彼女の性格だった。

彼女は多くの人々を求め、多くの人々が彼女を愛した。派手な外見で巨匠たちを「手に入れた」。ヨーゼフ・ゲッベルスは日記にこう書いた。「彼女の作業にはあやしい感じがある…」。

当時、ドイツの女性たちはナチスの規律に従い、ビスマルクが激賞した3K、子供(Kinder)、教会(Kirche)、台所(K¨uche)において充足しなければならなかったが、彼女だけは例外だった。事前のアポイントなしでも、ヒトラーを囲む厚い護衛網を自由に出入りする唯一の女性だった。

彼女とヒトラーは、二人とも夢想家だった。神話を愛した。二人は意気投合した。

そして、遂に戦争が終わり、ヒトラーを支持したその多くの人々があっという間に消えてしまった時、彼女だけは法廷でこう叫ぶ。

「私はヒトラーを信じました。勝手にしなさい!私を殺しなさい!」

この本は、極端の世紀だった20世紀を「禁じられた熱情」によって生きたレニ・リーフェンシュタールの一代記だ。有望な舞踊家であり魅惑的な映画俳優であり、20世紀最高の天才監督だった女性、しかし「悪魔(ヒトラー)の監督」であると同時に「ナチスのピンナップガール」として記憶される一人の女性の哀れな生の肖像だ。

リーフェンシュタールが、ヒトラーの要請で作ったベルリン五輪のドキュメンタリー映画は、20世紀最高の傑作に数えられる。ロマンチックであると同時に敍事的で、神秘的でありながらもリアリティーにあふれるこの映画は、当時のカメラ技術で撮影したとは信じ難いほどだ。

映画批評家らはこう話した。「敍情の敵から出たこの敍情を、どう受け止めるべきか」。

リーフェンシュタールは、映画を通じて本当にヒトラーの邪悪な帝国を宣伝したのか。彼女の芸術的な生を「憂鬱な熱情」と表現したスーザン・ソンタグは、リーフェンシュタールのドキュメンタリーが人間の肉体美だけでなく、抵抗できないリーダーに対する崇拝を通じ、肉体と共同体の再生を賛嘆しているとし、「ファシスト美学」と定義した。

リーフェンシュタールは、戦争が終わった後、法廷で「処罰できる犯罪がない」という判決を受けた。しかし、リーフェンシュタールは孤独のうちに捨てられる。リーフェンシュタールは非公式のブラックリストに載せられ、二度と映画を制作することができなかった。

もちろん、彼女の責任もあった。リーフェンシュタールは存在そのものがあまりにも派手で、リーフェンシュタールの登場はまるでファシストの悪霊が蘇ってきたかのようだった。本人を非難する激しいデモのさなかで開かれた法廷に、リーフェンシュタールは体に密着する官能的な乗馬服に高さ15センチを超えるサンダルを履いて、しばしば入場した。

リーフェンシュタールについては、当初から穏健な見解というものが不可能だった。無惨か?偉大か?天才か?悪魔か?

リーフェンシュタールは政治的には純粋だった。いや、白痴だった。彼女の生を追いながら、終始リーフェンシュタールについて、人間の弱さについて濃いあわれみを表現する著者は、独り言のように語る。

「あの狂乱のファシズム時代に、政治的な無知こそ、最大の犯罪ではなかっただろうか…。」原題は『A Portrait of Leni Riefenstahl』(1996年)。



keywoo@donga.com