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「面倒くさがり屋」の2つの愛の法

Posted May. 19, 2006 03:05,   

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万田邦敏監督の邦画『UNLOVED』の主人公の光子は、生活に何の不満もない。だから幸せだ。昇進が嫌で、試験すら受けない。かといって、多くを持っているわけでもない。むしろ生活はギリギリだ。市役所の下級公務員で、狭いワンルームに住み、三十過ぎたがボーイフレンドもいない。

こんな彼女に、成功したベンチャー企業の起業家で、バツイチの勝野が近付く。仕事上、市役所を訪れた勝野は、光子の完璧な書類作成能力に感嘆し、すぐに彼女の才能を発見する。

裕福な彼は、光子に好感を持ち、やがて愛するようになる。高い服をプレゼントし、すてきなレストランでの夕食に誘い、気持ちを伝える。そして、旅行先で「一緒に暮らそう」と切り出す。しかし光子は、勝野の提案を断る。理由は?変化が嫌だったからだ。勝野の富と名声は、自分のものではないということ、自分の生活と彼の生活の違いは優劣ではなく、ただ違うだけだということ、そして現在の生活に満足しているため、自分とは違う生活に組み込まれるのは嫌だというのが、光子の考えだった。

ただ慣れないという理由で富を拒否する彼女の独特のキャラクターは、現代人の視線で見れば、アウトサイダー的な人間型だ。実際に、映画の中で光子は、自分を理解できない周囲の人々の中で、いつも一人ぼっちだ。周囲は「なぜもっといい人生に向かって欲を出さないの」と急き立てる。その度に光子はこう言う。「私にレッテルを貼りたければ勝手に貼ればいい。でも私は今のままがいい」

監督は、欠乏を満たそうとする渇望と絶え間のない他人との比較から生まれる怒りで満たされた現代社会で、「ありのままの私」を認めることがいかに難しく、魅力的なことかを見せてくれる。「今の私」に満足するためには「一人ぼっち」や他人との断絶を甘受する勇気が必要だが、幸せや内面の平安はそのような対価を払う時に訪れるということを伝えている。

他人が何と言おうが、自分を愛した恋人が傷つこうが、自分の道を静かに進むという光子のキャラクターは、軟弱だったり挑発的だったりする女性像とは確実に距離があり、この時代の新しい女性キャラクターだ。むろん、光子という人物は、長年の低成長の沼から抜け出せない日本社会で、「どんなにがんばっても、よくなることはない」という悟りの産物と見ることもできるが。

光子の生活は、初めの頃は拒否されているように見えるが、結局、周囲の人々が自分の波長の中に入ることで、新しい疎通の方式として提示される。常に他人の趣向、他人の視線、他人の基準に包まれ、道を見失って迷っていた2番目のボーイフレンドの下川が、遂に彼女を理解するようになる。「今度は、俺がお前を選択する」と。

映画『許されざる者(UNFORGIVEN)』からヒントを得たというタイトル『UNLOVED』を翻訳するならば、『愛されざる者』になるだろうか。自己愛に没頭している光子のことを指している。24日、ソウル・フィルム・フォーラムで上映。15才以上。



angelhuh@donga.com