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女性鉱夫、性差別に立ち向かって闘う

Posted April. 28, 2006 06:57,   

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とても美人の女優たちは、映画を通じて自分の美貌が輝く時、優越感に近い満足を感じるだろう。しかし、ある女優たちは映画で自分の美しいイメージが残酷に崩れる時、妙な満足感を感じるそうだ。そして、その快感は中毒性を持っている。27日封切りされた映画「ノース・カントリー(North Country)」で主演した南アフリカ共和国出身のハリウッドスター、シャーリズ・セロン(31)。彼女の場合は、後者に属する女優ようだ。

息が詰まるほど美しいこの女優は04年、彼女にアカデミー女優主演賞をあげた映画「モンスター」以後、5本の作品に出演した。その中で「モンスター」に続いて「ノース・カントリー」が韓国で封切りされる次期作に選ばれたのが面白い。「モンスター」で彼女は、多数の男性たちからセクハラされ、結局、男性たちを連鎖殺人する悲運の売春婦をリアルに演じたが、「ノース・カントリー」でも男性鉱夫たちのセクハラに苦しまれたあげく、石炭会社を相手に寂しく訴状を提起する女性鉱夫役を熱演した。

「モンスター」で13kgも体重を増やし醜女に変身し、美貌を記憶していた人たちに(心理的衝撃以前に)視覚的衝撃を与えたセロン。「ノース・カントリー」では、黒い石炭粉をいっぱい引っ被られたまま女性の人権を叫ぶ、母であると同時に強靭な闘士だ。セロンは、自分のまぶしい美貌を、むしろ限界的に規定しこれを飛び越えようとしているようだ。

夫の暴力に苦しまれたあげく離婚したジョシーは、故郷の米ミネソタ北部に帰ってくる。子どもを扶養するためお金を稼がなくてはならなかったジョシーは、給料の多い鉱山で働くことにする。しかし、鉱山は保守的なこの村では、男たちだけの仕事場として認識されていた。「男たちの仕事を奪う」という非難を受けながらもジョシーは働き続け、男性鉱夫たちは巧妙な差別待遇と残忍なセクハラをして彼女をいじめる。ショジーは会社を相手に性差別に関する集団訴訟を提起しようとするが、静かな生活を望む女性同僚たちは彼女に目を背ける。

同映画は1984年、米国で実際にあった最初の職場内セクハラ訴訟を素材にしたが、実話を素材にしたという事実自体が、映画的リアリティを保障するものでもない。露骨に言えば、同映画はだれが見ても「政治的に正しい」話をしているにもかかわらず、大半の設定とセリフは古くさいほど直接的に表現する。「アダムとエヴァの時代から、男は女にちょっかいを出してきた」と言って、セクハラを当然に思う鉱山の男たち、そして「これからは、私の力で生きていきます。これは私たち皆のことで、女性たちの問題です」と立ち向かって叫ぶジョシーの姿も、一般的スローガンの水準だ。善悪の区分は単純明瞭で、全ての葛藤が一挙に解消される法廷での最後の反転は、実話であることさえ疑わせるほど「ハリウッド的」だ。

しかし、この直説法は、ジョシーの感じる絶望感と切実さを真正面で凝視する最も効果的な方法でもある。同映画は、言いたいことを遠回りで言わず、ひたすら1カ所だけに向かって走り続ける、強力な集中力があるのだ。映画は、観客がジョシーの辛さを「想像」する段階を過ぎ、観客を事態の真ん中に投げ込んで、何かを「痛感」させる。この映画は、単調だが正直で、反復的だが残忍だ。

メッセージが直線的であるだけに、誰と一緒に見るかも特に重要だ。セクハラ上司にストレスを受けてきた女性なら、同じ女性同僚と一緒に見ながらともに憤慨し、ともに痛快するよう勧めるだろう。しかし、もし貴方に付き合い始めたばかりのボーイフレンドがいるなら、二人一緒に見ることはあまり勧めたくない。映画をみた後、男性という「獣」に愛想が尽きてしまうかも知れないからだ。男性たちよ、これを機に恥を知れ、と言いたくなるかも知れない。

「くじらの島の少女(Whale rider)」のニュージーランド出身女性監督であるニキ・カーロ演出。R−15指定。



sjda@donga.com