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タイトルの魅力!映画の魅力?

Posted March. 17, 2006 03:08,   

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16日に封切りした『教授の隠密な魅力』は、映画のタイトルだけで半分「成功」した映画だ。性行為の姿勢を連想させる露骨なポスターでこれほどのタイトルをつければ、観客は間違いなく、派手な「ベッド遊び」を想像するに決まっているからだ。

もちろん、映画は熱くて、恥ずかしい露出とベッドシーンが待っている。しかし、結論から言えば、この映画はそのようなポスターとタイトルが与える期待を完全に裏切っている。胸で感じる映画ではなく、脳を働かせて考えなければならない映画のジャンルにもっと近いからだ。

舞台はある地方の小都市。大学の染色科の教授であると同時に、環境団体で活躍しているウンスク(ムン・ソリ)は、回りの男たちの絶え間ない愛情攻勢を楽しみながら暮す。ウンスクは所帯持ちの男・地方放送局の金プロデューサー(パク・ウォンサン)と隠密な行為を繰り返すが、彼女を心より愛している小学校の教師・ユ先生(ユ・スンモク)の求愛は実際のところ負担に感じている。ある日、同じ大学のマンガ科の講師にソクギュ(チ・ジンヒ)が赴任してくる。ソクギュはウンスクの過去をすべて知っている人物だ。ウンスクはソクギュの登場に困り果てる。

結局、『教授の隠密な魅力』と言うものはない。何か、とてつもない秘密が隠されていると思ったウンスクの過去も、よくみればあまり大したこともない。実際には「隠密な魅力」というのがないのにも、まるであるかのように大騷ぎする姿そのものが、この映画が本当に到逹しようとしている地点だ。ウンスクは本人が魅力の固まりと勘違いしながら威張っていて、また多くの「男」たちが、彼女に何か「隠密な」魅力があるはずと信じてもてはやす、まさにそんな不条理と醜い状況のことだ。

そのような点から、ムン・ソリという俳優のキャスティングは絶妙としか言えない。平凡ながらも非凡な彼女のルックスは、よくみればあまり特別でない方に近い女性教授のウンスクが、地方小都市という地理的環境(あるいは希少価値)のおかげで、特別な存在のようにもてはやされる状況とも妙に重なるのだ。

教授やプロデューサーのようないわゆる「ホワイトカラー」は、実は肉欲に燃える俗物で、環境団体をリードし、善良なふりをしているウンスクも、実際ごみをどこにでも捨てる自己矛盾の存在であることをみせながら、映画は知識人の虚偽を皮肉って嘲笑する。映画は、酔っ払った状況でも決して「Sライン」(彼女はいつも体をSの字に維持しようと努める)を失わないようにもがくウンスク(いや、ムン・ソリ)の姿をこっけいに映しながら、「何かあるかのように見せようとする」この世の中のすべての態度を、からかうような勢いにまで持っていく。

ところで決定的な問題はここで生まれる。「悪口をしつづけるとそれに似てくる」という言葉もあるように、この映画はいつのまにか自分がそのような存在をからかいながら、まさにその対象になってしまったという点だ。映画の中のウンスクがまさにそのような人物であるように、この映画自体は実際に持っているコンテンツに比べて、「何かもっとあるかのように見せようとする」姿そのものになってしまっている。

ウンスクが障害で足をひきずるという設定、一テンポ早く性行為の場面を見せてくれるか、突然に登場人物を死なせる不慣れなタイミング、演劇的な台詞、非現実的なほど高いウンスクの声のトーンといった各要素は、映画に独特のスタイル効果を持って現れている。しかし、これを映画監督本人だけが分かる、多様な象徴たちに満ちた難解な詩のように見せたりもしている。生の不条理を現わす 「不慣れな」方式が、洪尚秀(ホン・サンス)監督が存在して以来、今は「慣れた」方式に規格化されてしまったようだ。

不親切な映画を知的な映画と勘違いするということも、知識人のもう一つの虚偽の姿ではないだろうか。イ・ハ監督の長編デビュー作。映画は18歳以上観覧可。



sjda@donga.com