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デイジーの花の中に隠れた行き違う愛

Posted March. 10, 2006 03:00,   

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映画『デイジー』についていろいろ語る前に、明確にしておきたいのは、この映画が正統的なメロドラマに近いということだ。

『無間道』の劉偉強監督、主演のチョン・ジヒョン、チョン・ウソン、イ・ソンジェというスターキャスティング、そして「一人の女性の愛をめぐって繰り広げられるキラー(殺人犯)と国際警察の葛藤」というメーンストーリー…。このような条件だけ見ると、『デイジー』をアクション・ノワール的な男たちの、運命の愛の物語に考えがちだ。しかし映画の実体は「ノワールと会ったメロ」を超えて「ノワールを飲み込んだメロ」にもっと近い。

有名な監督と主演俳優たちに隠れてあまり目立たないが、この映画を理解するために必ず知っておく要素として、映画の基礎設計図にあたる脚本を担当した郭在容(クァク・ジェヨン)と言う名前だ。郭在容—彼は『猟奇的な彼女』『私のガールフレンドを紹介します』を演出しており、女優チョン・ジヒョンが限りなく信頼する人物だ。まさに、ここで私たちは『デイジー』に関して二つの事実を予測することができる。第一に、チョン・ジヒョンは相変らずCMのようにきれいな姿だけを見せてくれるだろうと言う点。第二に、映画の中のラブストーリーは良く言えば純粋で、悪く言えば幼稚にも映るだろうという点だ。

舞台はオランダのアムステルダム。肖像画を描く街の画家ヘヨン(チョン・ジヒョン)は毎日のように誰かから送られるデイジの花をもらう。その「誰か」を想像しながら愛を育ててきたヘヨンの前に、国際警察のチョンウ(イ・ソンジェ)が現われる。ヘヨンはチョンウがデイジの花の主人公と信じて愛に陷るが、チョンウは自分がその人物でないという事実をどうしても言えない。花を送った人はいつも遠くからヘヨンを見守ってきた殺人犯のパクイ(チョン・ウソン)だ。ある日、パクイに暗殺対象の人物としてチョンウの写真が送られるが…。

一応、ビジュアルに関しては『デイジー』は卓越だ。適当にロマンチックで適当に陰湿なオランダの日光は、中心人物の運命に暗い色彩を重ねる心理効果を出す。浮き立つよりは神経衰弱にかかったように鋭敏に動くカメラは、人物たちが繰り広げる張りつめた葛藤と、一触即発の危機感を粗い画面の粒子を通じて時々刻々に伝える。

カメラはチョンウの視覚から1回、パクイの視覚から1回ずつ眺めるが、このように葛藤する両人物の内面に交互に入り込み、それぞれ一人称の時点で事件を眺める劉監督の「視覚魔術」は、運命の渦に巻き込まれたチョンウとパクイいずれにも濃い憐愍の情を感じさせる。

ただし、『デイジー』の問題は、こうしたノワールスタイルのビジュアルが持った悲壮に比べて、見せる愛の濃度が薄いことにある。

映画は「花は愛を届けたり、死を届けたりもする」(パクイ)のように、美しくて意味深いナレーションで話を持っていく。しかし、派手な修辞に比べていざ核心である恋の物語はそれほど運命的で、切なくて、生命力のあるようには感じられない。この映画が愛を語ろうとすればするほど、もっと自我陶酔的な雰囲気を漂わせることになる原因として、主人公たちがいかに愛しているかは見せてはいるものの、彼らがどうして愛しているのかは見せていない「映画設計図」もともとのもっている限界のためだと考えられる。

あくびまでCMのようにきれいにするチョン・ジヒョンは相変らず(もしかしたら今後とも永遠に)魅惑的だが、しかし、俳優として正面勝負に出なければならない時期をいつまでも延ばすことは今後出来なくなるだろう。デイジーも、いつまでもぱーっと咲いているものではない。上映中。映画観覧は15歳以上。



sjda@donga.com