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怒ると変身するエロ吸血鬼…映画『吸血刑事ナ・ドヨル』

怒ると変身するエロ吸血鬼…映画『吸血刑事ナ・ドヨル』

Posted February. 10, 2006 07:01,   

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まず知っておこう。映画『吸血刑事ナ・ドヨル』は、あなたが期待するとおりの映画ではない。あなたの想像から40%ほど外れている。この映画は意外に笑わせるというより、もっと真剣だ。映画から予想とは違う印象を受けるのは「観客が期待する金秀路(キム・スロ)」と「金秀路が期待する金秀路」の姿がお互いに大きく食い違ったことからもたらされる。これは『…ナ・ドヨル』が笑わせることができないというよりあまり笑わせない方を選んだ、まさにその理由でもある。

ナ・ドヨル(金秀路分)は、怒りや性的刺激で興奮すると吸血鬼に変わる。ナ・ドヨルが兄のように慕っていたカン刑事(チョン・ホジン分)が、ある日、悪党のタク・ムンス(ソン・ビョンホ分)の手に倒れる。タク・ムンスはナ・ドヨルがお金をもらって面倒を見た人物。迷ったナ・ドヨルは結局復讐に出るが、吸血鬼を専門的に狙うビオ神父(オ・グァンロック分)と出くわす。

金秀路といえば『ガソリンスタンドの襲撃事件』から『反則王』『ファサン高校』『Sダイアリー』『肝太い家族』に至るまで、人々を大笑いさせた俳優だ。「主演以上の助演」として座を固めた彼が、今度13年ぶりに単独主演で初めて出演する。さあ、観客は金秀路に何を期待するだろうか。たぶん「とことん私を笑わせてほしい!」ということだろう。

今度は金秀路の心の中に入ってみよう。金秀路は1993年『トゥ・カップス』でデビューし、誰よりも長年にわたる助演生活を通して、しっかりキャリアを積んできた貫禄の俳優だ。彼はコメディーだけでなく『黒水仙』『ブラザーフッド』『私の生涯の一番美しい一週間』を通じて「深刻な」演技の実力も証明した。観客の大部分は、彼を「コメディアンというより笑わせる俳優だ」と断定する。さあ、初の単独主演を演じた彼はどんな悩みを持っているだろうか、観客の期待を失望させないながらも新しい可能性を見せることだ。

逆説的にも問題はここから出る。観客は金秀路の顔だけ見ても笑いを噴き出す用意ができているが、いざ金秀路はそんなに「幼稚に」笑わせたい気持ちはない。

金秀路が演じる主人公は、興奮すれば吸血鬼の本性があっという間に現われて、ものすごい力で悪党たちを片付けるという点で、伝統的なヴァンパイアより『ハルク』にもっと近い。明るくてコミックなイメージより、アイデンティティについて悩む姿から『ブレイド』や『バットマン』『スパイダーマン』『デアデビル』のような「反英雄」のイメージとも重なる。

中盤まで映画は復讐に出たナ・ドヨルが吸血鬼の攻撃本性と力強いパワーを維持するために、「エッチな動画」をよく見ながら興奮状態をずっと維持させなければならない哀歓(?)にポイントを置いて笑いを引き出す。極悪非道でありながらも、いやらしい悪党の新概念を提示したソン・ビョンホの演技も圧巻であるうえに、少し遅れて観客を襲う金秀路のアドリブの実力は相変わらずだ。

しかし、『吸血刑事…』は「吸血鬼になった男」という中心設定が持つコメディー要素と「不正に巻き込まれた刑事が先輩のために繰り広げる涙ぐましい復讐劇」というストーリーの持つドラマ的要素を化学的に結合するのに成功していない。コメディーとドラマが飛び石のように手順を変えて羅列されるだけで、「笑わなければならなかったその理由が哀れみの情につながる」感性の纎細な部分が足りない。

「吸血刑事の右往左往の犯罪退治話」というアイディアから出発して「歪んだ英雄の話」という領域に意味拡張を試みるが、パロディーを超える独創的な設定と緻密なストーリーの欠けた映画は中途半端にとどまらざるをえない。各エピソードの間に密度の差が著しく現われて、必要以上に映画が悲壮に近付くのもこのためだ。

一人の俳優が自分を成功させた、まさにそのイメージと決別するというのは容易ではないことだ。金秀路の次の作品が待たれる。『2009ロスト・メモリーズ』のイ・シミョン監督。上映中。観覧は15歳以上。



sjda@donga.com