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半世紀、胸に秘めた悲しい記憶

Posted October. 22, 2005 10:30,   

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『戦争と記憶』金暻学(キム・ギョンハク)他・著

韓国戦争は、韓国現代史で最も悲劇的な事件だが、経験した人々の声は、おろそかに扱われてきた。これまで多くの研究が、主に「誰が戦争を起こしたのか」という責任究明に集中してきたのが実情だ。

しかし、韓国戦争は乾燥した記憶の果ての記録ではなく、体験による記憶という形で、依然として私たちの暮らしの一部を支配する、生きた歴史である。戦争が起こってから半世紀以上が経過したが、人々はまだ、それぞれの記憶として「密かな」逸話を共有しているためだ。

このように、存在はするものの公式的に整理が困難だった戦争体験者の記憶を、全南(チョンナム)大学湖南(ホナム)文化研究所が中心となり、学問的アプローチを駆使して書籍を発行した。

すでに2003年に『戦争と人々:下からの韓国戦争研究』を通じ、戦争を眺める視点を国家や集団から個人に引き下げなければならないと強調した著者たちは、今回、具体的な事例を中心に、各論を紹介した。戦争中にどのようなことが起こったのか、そして、それを経験した人々は何を記憶し、その記憶はその後の人生をどのように変化させたのか、これらが研究者たちの緻密な現場取材によって復元される。

「戦争が起こった時には、利口ぶって前に出ると怪我をするものだ。知っていても静かにしていること。これは難しいことだ。知っていながら、どちらにも加担せずにいることは、簡単なことではない」

この言葉は、半世紀を過ぎた記憶の言葉だが、今でも、特別な言葉とは聞こえない。たとえ、銃弾が飛び交い死体が転がっていなくても、古臭い理念対立の中で、敵と味方に分かれている心理的内戦状態をあまりにも長く経験している疲労感のためだろうか。

ライフ・ストーリーという生々しい言葉で聞く戦争の記憶は、戦争の実体に肉と血を吹き入れる。戦争時に起こった集団虐殺の実態も、単なる理念の問題にとどまらず、家どうしの争い、周囲の人々からどれほど情を注がれたか、注がれなかったかというさまざまな要素が、一緒くたに作用したものとして証言される。

「敵といえば、近い人々が敵で、遠くの人じゃない。…隣近所の見えない対立が恐いんだ。世の中が混乱期に入ったら、それが恐いんだ。だから、隣近所の間では感情を入れずに仲良く暮らさなきゃいけない。韓国戦争のような混乱がまた起きたら、どうなるかわからないもの」

周知のとおり、記憶は主観的だ。まったく同じ状況を経験したとしても、年齢、階層、性別によって異なり、それも時間によって色を加えられ、加工されるということが、本書を通じて表れている。被害者と加害者の区別もあいまいだ。偶然で突発的な死も、時には、あとで記憶によって神秘化されたりする。本を閉じた後、韓国戦争の実態も実態だが、果たして「過去史」の実態について、私たちはどれほど自信を持っているのか、という重い問いが残るのは、そのためだ。



angelhuh@donga.com