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僕は今でも渇いてる。水をちょうだい。

Posted October. 12, 2005 07:04,   

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「ちょっと狭苦しい部屋だけど、いいですか。」

ドアを開けるとタバコの臭いがプンとした。7日、ソウルの新村(シンチョン)にある広さ約7坪のオフィスを兼ねたワンルームマンション。所狭しと並んでいる5本のギターや、点滅する蛍光灯、散らかっているジーパン…。歌手ハン・デスさん(57)の部屋は乾燥していた。喉がからからに乾いてきた。咳をすると彼が言った。

「あ、大丈夫ですか。すぐ『孤独のコーヒー』を入れますから。今日みたいな雨の日の朝には、我が人生の孤独でたてたこのコーヒーがちょうどいいです。」

コーヒーカップを手渡した後、彼はテーブルに置いてある重そうな箱を高く持ち上げた。3年後は還暦を迎えるというこの中年男、急に子供のように噴出す。

「これに僕の音楽人生の全てが入っているんですって。完成品をもらった日は、うれしくてうれしくて一晩中手にして放せませんでした。ずっしりと重さもあってたまらないほどです。」

「フォークロックの代父」ハン・デス。彼の37年間の音楽人生を14枚のCDセットにまとめ上げた『ザ・ボックス』が6日発売された。彼が箱を開けた。同時に閉じていた彼の口も開いた。

○#シーン1・・・ボックスをいじる

「僕の人生は失敗だったと思います。何一つうまくいかなかったのだから…。しかし、よく考えてみると、音楽だけはずっとやり続けてきたようです。そこで圧縮ファイルのように、僕の音楽のすべてをこのボックスにぎっしりと詰めました。」

−『ザ・ボックス』、何か意味合いのあるタイトルのように思えますが。

「僕の音楽を盛り込んだ箱という1次的な意味がありますが、俗語では女性の性器、そして死を表す『棺』という意味もあります。女性の身体から生まれ、音楽を作り出し、後に死を迎える僕の人生そのものを意味しています。結局、残るのは音楽だけです。」

14枚のCDはハン・デスが歌手として生きてきた37年間を示す歴史書でもある。「幸福の国」、「水をちょうだい」の曲が収録された1974年のデビューアルバム『遠くて遠い路』をはじめ、昨年リリースした10番目のアルバム『キズ』。さらに1970年代、ニューヨークで結成したロック・バンドの「ジンギスカン」時代に発表した曲や、米国と韓国を行き来しながら4年にかけて撮り続けたミュージックビデオまで…。

○#シーン2・・・自分の音楽に自信が持てるのか

「1960年代末、僕は「宇宙人」扱いをされました。李ミジャさんやナ・フナさんの音楽ばかり聞いていた人たちに、ジーパンにロングヘアをした歌手は理解できなかったでしょう。『ヒッピー文化』や『反体制歌手』などで僕のことを説明したがっていました。」

−軍事政権時代に抵抗的な音楽…、一見、ハンさんの音楽は時代に恵まれていたとも思えますが。

「そうでもありません。禁止曲にされたのが多くて、活動できませんでしたから。今だったら、ソ・テジさんのように、世の中をひっくり返していたかも知れません。ある音楽が認められるまでは時間がかかります。30年後を見てみましょう。僕の音楽がどんな評価を受けるのか…」

○#シーン3・・・グレーの髪、ジーパン、ブラックのブーツ

彼は最近、京畿道光明市(キョンギド・クァンミョンシ)で開かれた「光明音楽バレーフェスティバル」の弘報大使を務めた。また10日から12日には、EBSテレビの『スペース共感』が企画したシリーズ「私たちが彼らを巨匠と呼ぶ理由」に最初のゲストとして招かれて公演した。それだけではない。来年の年明けに上映予定の李ハンベ監督の映画『モノポリー』で俳優のヤン・ドングンさんと共演し、今月末にはエッセー集の『オールド・ボーイ』が出版される。年を忘れるぐらいだという言葉に心配そうな返事が返ってきた。

「最近、健康がよくありません。血管に異常が見つかり、右腕の調子も悪いです。人生は壊れやすいものです。しかし、死ぬことは怖くありません。休まず創作を続けるだけです。還暦もそのように、音楽の仕事をしながら迎えるでしょうね。」

−ハンさんからはもう『巨匠』の重みが感じられます。

「『巨匠』や『ヒッピー』、『フォーク歌手』。これらは単純し過ぎた修飾語です。ハン・デスはただ今を描く「創作家」のほかありません。良好な創作家ですよ。良好だ。良好ですとも…」

乱れたロングヘアの多くがグレーになっているハン・デスさんは、相変らずブラックのブーツにジーパンの姿だ。

大人になるな、最後のヒッピーよ。



bsism@donga.com