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「お母さん」と離れた200里の道、涙の道?天国の道?

「お母さん」と離れた200里の道、涙の道?天国の道?

Posted April. 06, 2005 23:15,   

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「韓国のお母さん」のコ・ドゥシム主演、心の琴線に触れる『遠い道(韓国語タイトル・お母さん)』というタイトルで、末娘の結婚式に出席するために200里の道を歩く老母の話。これだけ聞いても、観客は劇場に入る前から大泣きする準備(あるいは期待)ができるだろう。しかし、8日封切の『遠い道』は、少し戸惑う方向に流れた。

ク・ソンジュ監督(1997年『彼は私にチータを知っているかときいた』演出)は当初、客席を涙でいっぱいにしようとは考えなかったようだ。映画の重心は、千辛万苦の末、母親が結婚式場に到着するという感動の「イベント」そのものにあるのではなく、道が人間と「対話」しながら、母親とその家族の暮らしにもたらした温かい変化にあるためだ。

不和だった長男(ソン・ビョンンホ)と次男(キム・ユソク)は、母親と一緒に道を歩く間に仲直りし、母親は尼になった娘に会って、生涯胸の中に閉じ込めていたわだかまりを吐き出す。

問題は、監督がちゃんと泣かせてくれるのか、でなければ芸術的成就を果たすのか、どっちつかずだったところにある。

かかしを真似る男とぼんやりした音楽を演奏する老人楽団を旅程の中に突然登場させて、名も分からぬ野花と話をする母親の姿を通じて、映画はまるで老母の旅程が天国に向かう歩みのように、超現実的なにおいを漂わせる。

そしてクライマックスは、結婚式場に到着した母親が、最初で最後に書いた手紙を娘に渡す瞬間であり、観客の感情の線に触れようとする伝統的「涙の法則」に寄りかかる。この過程で観客は、母親の人生を十分に観察するのか、さもなければ母親の心情を思って心を痛めるのか、態度を決めることができない。

中堅俳優を全面に押し出した『遠い道』の野心的な挑戦は、生きがいを感じさせる。「笑わせるか泣かせる」映画だけが生き残る「情緒的な」風土で、この映画がどんな足跡を残すだろうか。(全ての年齢で観覧可能。)



sjda@donga.com