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食卓を見ると権力が見える

Posted April. 01, 2005 22:58,   

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◆ギリシャ・ローマ時代

「私が一緒に夕食を食べない人は、私にとって野蛮人だ」。

ポンペイの壁画に刻まれている落書きだ。古代ギリシャ・ローマ時代に宴会は文明人と反文明人を区分する基準の一つだった。

ギリシャ時代の公共宴会だったシンポジオンは、男性のための酒宴であり、同性愛を楽しむ場でもあった。そこでは座る姿勢が序列を区分する印になった。目上の人はカウチにゆったりともたれ掛けた姿勢で、そして若者は真っ直ぐに座って飲んだ。

ローマ人は階級主義者だった。皇帝は公共宴会に多様な階層の人を招待したが、階級によってもてなしには差別があった。

宴会の場で奴隷の役割は欠かせなかった。ハンサムな容姿の奴隷が料理を一口大に切ってくれた。

◆中世

キリスト教の修道士たちの食事も贅沢を極めていた。見た目は禁欲的に見えた修道院食堂の団体食事は、闇の時代の典型的な晩餐の一つだった。例えば、動物の肉を食べるのは禁じられたが、調理師はむしろすばらしい海鮮料理を創造し出した。

10〜11世紀に、肉をよく食べるのが貴族の象徴だった。地主らたち狩猟法を作り、農民には野生動物の肉も食べさせなかった。

キリスト教の影響で貪食を警戒し、禁食が修道院を中心に行われた。フランス王室の食卓も禁欲の規則を重視したが、贅沢さを捨てることはなかった。

中世末期の代表的な特徴の一つがアントルメの登場。アントルメは本来、食事とデザートの間に出る食べ物を意味したのが、ワゴンで運ばれるほど規模が大きくなった。

◆ルネサンスと絶対王政時代

ルネサンス時代になって食卓の意味は少し変わっていった。プラティナの著書『正しい快楽について』はそれを物語る。中世には「快楽」という単語自体が罪に近い言葉だったが、プラティナは食べる楽しみが適切な環境では、高潔で正しいものになれると主張した。彼は食べ過ぎと飲み過ぎを合理化した。

その時から、果物、花、眩しい食器、おいしい食べ物をきれいにセッティングし、全ての感覚的な快楽を具現した料理と食卓が登場しはじめた。贅沢さを誇示する宴会は新しい王政時代に権力と地位を表す尺度になり、統治者を賛美する手段にもなった。

◆フランス革命以降

フランス革命は食習慣を含む人間の行為と欲求の定義を新たにしている。自由、平等、博愛の時代が開き、食事は過去の華麗な儀式から遠のいたかに見えた。

革命以降、階級によって飲食を異にするという考え方はなくなった。それはレストランという新しいスタイルの食堂で鮮明に現れた。以前はエリート層でないと食べられなかった高級料理を、お金さえあれば、誰でも好きなように食べられるのだ。

ところが、最近のメディア時代には、舞台や銀幕のスター、ポップスター、ファッション・デザイナー、サッカー選手などの地位が高まり、彼らの食卓もかつての宮廷を彷彿させるものになった。

王宮、貴族の城、ブルジョアの邸宅から高級レストランに移っただけで、食卓は依然として特権意識という社会の熱望の指標としてその力を発揮しているのだ。原題は『Feast』(2002年)。



klimt@donga.com