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赤裸々な人間の原型に迫る 映画「朱紅文字(スカーレット・レター)」

赤裸々な人間の原型に迫る 映画「朱紅文字(スカーレット・レター)」

Posted October. 20, 2004 23:50,   

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「…そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木は、いかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた」

「善悪の実」を食べたアダムとイブを描いた聖書の創世記3章6節。映画『朱紅文字(スカーレット・レター)』はこの字幕から始まる。

1991年に短編『ホモ・ビデオクス』、00年に長編デビュー作『インタビュー』で、韓国映画界の期待の星となったビョン・ヒョク監督の4年ぶりの新作だ。映画を書体に喩えれば、この作品はその誰とも区別されるビョン監督だけの「書体」である。大胆なテーマ、強烈な表現、独創的なスタイルが際立つ。

理知的でかつ動物的な感性を持った強力班(凶悪事件担当の部署)の刑事ギフン(ハン・ソクキュ)。彼には従順な妻スヒョン(オム・ジウォン)と情熱的な愛人カヒ(イ・ウンジュ)がいる。ギフンは、罪責感を感じながらも、女子高時代の同窓生である2人の女性の間で綱渡りをする。ギフンはある日、残忍な殺人事件現場で、夫殺害の容疑を受けているキョンヒ(ソン・ヒョンア)に会う。

『朱紅文字』は、「21世紀版の創世記3章」である。ミステリーとラブストーリーの外装が作品を包んではいるものの、大きな意味はない。映画は導入部に登場するギフンの告白その通り「悪戯のように始まったが、拒絶できず、後には致命的にも自分を破滅させる」人間の欲望と本性を扱った。近く封切りの韓国映画のうち、人間の原形に最も赤裸々に迫った作品である。

拒絶できない運命と極限を突き進む表現法で、映画は『オールド・ボーイ』に似ているが、その濃度はより濃い。『オールド・ボーイ』が、テーマの強烈さを画面のテクニックで中和させたとすれば、『朱紅文字』はイメージの上塗りによって、むしろ衝撃の強度を高めた。

映画の中の「アダム」、ギフンは「悪い男」だ。彼はカヒとスヒョンのうち、一人の女性を選択したと考える。そして家庭を持つ状態でも、別の女性と関係を持ち続けることで、2人の女性のいずれにも罪を犯したと考える。しかし、ギフンが知っていることが氷山の一刻だとしたら?映画は、彼を加害者でありながらも被害者である2重的な存在として描き出している。

同作品のクライマックスは、車のトランクに閉じ込められたアダム(ギフン)とイブ(カヒ)のラスト20分。韓国映画で最も衝撃的で強烈なシーンの1つに記憶されるこの場面は、欲望を選んだ罪で残酷な対価を支払う人間の実体を見せつける。

カメラの視線と音楽は、イブにささやいた蛇の舌のように執拗で甘い。『薄荷砂糖(ペパーミントキャンディ)』、『ファイラン』、『オアシス』の音楽を担当したイ・ジェジン氏と、世界的な指揮者チョン・ミョンフン氏から本格的な指揮レッスンを誘われたほど、音楽的才能を兼ね備えたビョン監督の感性のためだ。実際にビョン監督は、劇中で指揮者として出演する。

昨年、『2重スパイ』の興行失敗後に復帰したハン・ソクキュ氏は、時々『緑の魚(グリーンフィッシュ)』、『ナンバー3』の下積み人生のイメージが重なって残念だったが、多重的なキャラクターを力強く演じた。殺人現場に行くギフンが、ヴェルディ・オペラの「運命の力」のアリア「Pace Pace Mio Dio(神よ平和を与えたまえ)」を叫びながら、荒々しい悪口を吐く姿は、彼だからこそできる演技だ。

イ・ウンジュは悲運のイブだった。「貪欲な」セックスと「絶望的な」セックスの差が何かを見せてくれる女優は多くない。29日封切り。18歳以上観覧可。



金甲植 dunanworld@donga.com