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図書館、本の墓?本の楽園?

Posted October. 09, 2004 01:58,   

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「図書館の隠された歴史」

マシュー・バトルズ著/金ミギョン訳

296ページ/1万5000ウォン/ネクソス

アルゼンチンの作家ボルヘス(1899〜1986年)は、図書館を宇宙に喩えた。果てしなく並ぶ閲覧室、同じ様相の部屋と廊下の鏡・・・。世の中が秘密めいた意味で詰まっているので、その意味だけを集めても、また別の相応する世の中になるという意味だろうか。

生涯を司書として生きた彼は、晩年にアルゼンチン国立図書館の館長になった直後、視力を失った。目が見えなくなったボルヘスが書架を手探りして発見した最後の逆説は「本とは、人間の手から離れるほどよく保存される」という事実だった。

米ハーバード大学の貴重本図書館であるヒュートン図書館の司書で、「ハーバード図書館会報」の編集者である著者は、文字の収集と保存に向けた人間の熱望、そして本と図書館の運命をこの本に書き込んだ。

●火に燃える

精神を悟らせる火をくべることを運命とする本。しかし、現実の火の中で灰になる場合も多かった。古代エジプトのアレキサンドリア図書館がアラブ勢力によって破壊された後、パピルスの巻物は風呂焚きのために送られた。伝説によれば、この本で風呂を6ヵ月もの間焚くことができたという。

ナチスは、12年間の政権期間で1億冊の本を燃やした。マルクスは民族の和合を、フロイトは人間の高貴さを、レマルークは民族精神の武装を阻害するという理由で、焚書リストに載せられた。

本に加えられた野蛮性だけは、今日も続く。1992年、セルビアの軍事指導者たちは、ボスニア国立大図書館と東方研究所を攻撃し、トルコ支配時代の数多くの文書が焼失した。

「本の焼失」が必ずしも文化の破壊のみをもたらすのではない。18世紀までは、古代の数多くのパピルスと羊皮紙の文書が、燃えかけの状態で図書館の廃墟に散らばっていた。イタリアのピアジオがこの燃えかけた本を開封して、燃えていない部分を読み解く方法を発明した。そのお陰で、燃えていなかったならばらばらに散らばっていた数多くの古典知識が判読され、今日まで伝わるようになった。

●真の本の虫、司書たちの歴史

今日も、分類リストの作成に必要な些細な表記問題で夜を徹し、舌戦を繰り広げる人々が「司書」である。真夜中に書架を歩き、「この中のどこかに『魔法使いの石』の秘密が書かれていないか」と想像をする人々も司書たちだ。

19世紀の英国には、司書の活動で騎士の爵位を受けた者がいた。イタリア出身のアントニオ・パニチだ。急進活動のため亡命した彼は、英国国立図書館の司書に就職し、新しい図書リストを作成した。今日のインターネットのように本と本の「リンク」の概念を取り入れた作業だった。

デュイ十進分類法で有名なメルビル・デュイは、分類法の他に、司書学校を設立した「司書の神」だった。1860年代に始まったカード分類法は、ウィリアム・コスウェルがハーバード大学の図書リストを本別に取り出して、新たに分類したことで始まった。

●支配者による・・・万人のための

初めの頃の図書館は、権力者の栄光を称えるために建てられた。ルネサンス期のイタリア・フィレンチェのメディチ家が商人から君主に上るために、図書館建立が大きな役割を果たした。貴重な本に対する熱望を満たし、「市民のための慈善」で包装できるので、採算が合うことには違いなかった。

グーテンベルクの印刷革命後に新刊リストが急増するや、図書館はイデオロギーの角逐の場になった。統治者たちが図書館を通じて規範を伝えようとしたが、民衆は知識欲を満たして支配者たちと知的に同等になろうとした。19世紀中盤、英国で貸し出し専用図書館が流行するや、資本家たちは「下層民が知識で武装すれば、社会が亡びる」と憂慮を示した。

この本に言及されなかったが、文字による民衆教化の最も偉大な事件は、1446年に今日の朝鮮で起きた。「民衆が自分の意思を表現するように」文字を創製頒布した事件は、人類史上類例のないことだった。

原題「Library:An Unquiet History」(2003年)。



劉潤鐘 gustav@donga.com