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ミステリー・スリラー映画「コミスプ(クモの森)」

ミステリー・スリラー映画「コミスプ(クモの森)」

Posted September. 01, 2004 22:06,   

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3日封切られる「ゴミスプ(クモの森)」は変なパズルみたいな映画だ。ピース(小片)の幾つかは変形していて、幾つかは他のパズルのピースと替えられ、幾つかは同じピースがいくつもあって、また他の幾つかは最初からないパズルだ。

「コッソム(花の島)」の監督でもあるソン・イルゴン監督は最近、ある試写会場で、「この映画は難しいかも知れない。他人の夢をのぞき見るという気持ちで鑑賞してほしい」と言ったが、厳密に言って「ゴミスプ」は「難しい」映画ではなく、「目まいのする」映画だ。現在と過去、また現在ともっと前の過去を行き交いながら構成されるこの映画で重要なのは、複数の話をパズルを合わせるように合わせて正解を見つけるのでなく、瞬間瞬間の場面が投げる強烈なイメージを全部真実だと受け入れる態度だ。

妻に死なれたカン・ミン(カム・ウソン)は超自然的現象を追跡するテレビ番組のディレクター。ある日、彼は神秘な伝説の森である「ゴミスプ」に関する情報を入手する。ゴミスプを探しに出たカン・ミンは、写真館を運営する謎の女性、ミン・スイン(ソ・ジョン)に会う。ゴミスプに入ったカン・ミンは山荘で2人の死体を見つける。驚くべきことに、1人はカン・ミンをいじめてきた同じ放送局の局長で、もう1人はカン・ミンと内縁関係にあるアナウンサーのファン・スヨン(カン・ギョンホン)だった。知らぬ人に襲われて気を失ったカン・ミンは、目覚めた後、またトンネルで交通事故に遭ってこんすい状態に陥る。目覚めた彼は殺人事件の有力な容疑者になる。カン・ミンは記憶を辿る。

ミステリー・スリラーのジャンル的フレームを借りて来た「ゴミスプ」は、複雑な編集を通じてスリラーの持つスピード感を自ら解体させてしまい、とても緻密な方式で「非論理的」に見せようとする。どうしてカン・ミンの記憶の中の女性は後姿だけ見せてくれるのか。どうして同じ女性の顔が死んだ妻からファン・スヨンに変わるのか。カン・ミンの後を追う男は誰なのか。疑問は切りがないが、ソン監督は基本的に真実ゲームよりは、記憶の不完全性と混乱、精神的外傷によって過去(あるいは真実)自体がいくつかの「バージョン」を持つようになることにもっと関心があるようだ。

カム・ウソンは「R−Point」に続いて同映画でもクールな魅力を発散する。かすれた声は、一つ一つの発音が妙にセクシーだ。死んだ妻とミンスの1人2役を演じたソ・ジョンは相変らず存在感が強烈で、「夫婦クリニック−愛と戦争」のようなテレビドラマに出演しながら静かに自分を知らせて来たカン・ギョンホンは、映画の中のセックスシーンを通じて、抑圧に押さえ付けられた女性の背中がどんなに美しくて致命的なのかを見せてくれる。

知りたい。「良い映画」と「悪い映画」ではなく、「面白い映画」と「つまらない映画」だけが存在する大衆の趣向の中で、スリラーの服を着た作家主義映画「ゴミスプ」が、果して観客の次のような簡単明瞭とした質問をパスできるのかどうか。その質問はこれだ。「So What(それで何がどうしたというのか)」

スペイン・サンセバスティアン映画祭競争部門進出作。18歳以上観覧可。



李承宰 sjda@donga.com