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陸に上がり現実を生き抜く人形姫たち 映画「人魚姫」

陸に上がり現実を生き抜く人形姫たち 映画「人魚姫」

Posted June. 15, 2004 23:02,   

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「映画の海」という言葉がある。「人魚姫」(朴フンシク監督)はその海に隠れている「真珠」を思い浮かばせる映画だ。

この作品は韓国映画では珍しいファンタジーの秀作で、チョン・ドヨンの1人2役の撮影場面で技術的にも完成度の高い映画だ。映画は郵便局職員のナヨン(チョン・ドヨン)が偶然に母のヨンスン(コ・ドゥシム)の20歳の時にタイムスリップして、現実とは全く違う母の夢と恋を見守るという話を描いている。

●人魚姫

なぜ「人魚姫」なのか。今は浴場管理士(垢すり屋)として働いているヨンスンの若い時代の職業が海女で、ナヨンの父ジングク(朴ヘイル)がハングルを学ぶヨンスンに童話の本『人魚姫』をプレゼントするシーンが登場するが、十分な説明にはならない。

映画は「私のお母さんへ」という字幕から始まる。エンディングで耳をとらえるのも青い海の中を人魚のように泳ぐ若いヨンスンを抱え込むように流れる音楽「To Mother」(チョ・ソンウ作詞、作曲)だ。

この映画には若い時代のヨンスンとジングクの恋が描かれるが、それが全てではない。朴監督のお母さん、ひいてはもはや「お母さん」という名前だけで存在する全ての女性に対する哀れみと愛、若いナヨンと母のヨンスンの和解こそ映画の本当のメッセージだ。

銭湯でしきりに唾を吐き、ともすれば悪口を言い放つヨンスンは、恋のために死まで喜んで受け入れる童話の中の美しくて悲しい人魚姫とは全然似合わない。しかし、若いヨンスンと出会った後、ナヨンが「うちの母は垢すり屋なの」と言うシーンは、気の強い母でも若い時、自分と同じく愛と夢を抱いていた存在だったことに気づいたというナヨンの告白であり反省でもある。

若い娘と年取った母の葛藤と和解。それほど新しくもないストーリを愉快で感動的な作品に仕上げたのは朴監督の演出力だ。小品はもちろん、さりげなく言うせりふまで緻密に配置して、まるで「細密画」を連想させる。

●銭湯と海

作品の主な空間として海と銭湯が設定されたのは絶妙な選択だ。荒い言い方をすれば、海の「人魚姫」(お母さんたち)は陸に上がって銭湯へ行ったのだ!そして、童話とは違って、死なずに現実の中で険しい世の中を生きているのだ。

海は若さ、夢、ファンタジー、幸せな過去が交わる若いヨンスンの空間だ。一方、銭湯は歳月と生活の「垢」がいっぱい付いている年取って醜いヨンスンが存在する空間だ。二つの空間の相反したイメージはファンタジーと現実に存在する二つのキャラクターを鮮明に印象付ける。

映画のまた違う魅力は感情的になりすぎないこと。ナヨンはヨンスンの若い時代と現在を、若いヨンスンは若い時代のジングクを観察しながら暖かくて美しい視線を送るからだ。

チョン・ドヨンは、「『人魚姫』は私の演技人生の決定版であり、総合贈答セット」と言うほど優れた演技力を披露した。25日封切り、全体観覧可。



金甲植 dunanworld@donga.com