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[オピニオン]政治家たちの便利な「国民」云々

[オピニオン]政治家たちの便利な「国民」云々

Posted May. 08, 2015 07:18,   

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最近、政治家たちは口を開けば「国民」云々だ。4・29再補選で全敗した野党新政治民主連合の文在寅(ムン・ジェイン)代表は、「国民が敗北したのではない」というコメントを残した。与党セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表は、公務員年金「改悪」案に合意した後、「国民大妥協によって合意したことに大きな意味がある」と強調した。文代表の発言は矛盾だらけだ。新政治民主連合が選挙に負けたのに国民は敗北しなかったとすれば、新政治民主連合に票を入れなかった多くの国民が敗北者ということなのか。金代表の言葉は誇張だ。一般の国民は誰も公務員年金問題の「大妥協」に参加したことはない。同感できない政治レトリックだ。

◆過去に「国民」は、独裁時代の単語であるか忌避用語だった。進歩陣営にとって特にそうだった。彼らは「国民」の代わりに「市民」を愛用した。今でも良識ある人々の集団を「市民社会」と呼び、「国民」や「国家」と差別化する。労働団体は行事の際、「国民儀礼」ではなく「労働儀礼」を行った。「国民」学校という名前は日帝の残滓という理由で消え去った。

◆しかし、高麗時代の記録にも、「国民」という言葉は出てくる。朝鮮王朝実録には、231回も「国民」が登場する。世宗(セジョン)の時が33回で最も多い。「国民の希望に合致する」「国民に対して罪を犯す」といった表現だ。冷遇された「国民」を政治の側で流行させたのは、新政治民主連合の安哲秀(アン・チョルス)議員だ。「国民が望めば」が口癖だった安氏は、「国民報告会」で大統領選出馬を宣言し、選挙資金を集めるために「国民ファンド」を作った。

◆「国民」に対する一部の拒否反応は、大韓民国の建国に対する否定的な認識とも関係がある。新政治民主連合の政治綱領の前文は、大韓民国臨時政府から1960年4月革命に移る。1948年の建国がないため「国民」を語ることがぎこちない。文代表や安氏が掲げる「国民」が全体の国民なのか、自分の側の国民なのか分からないが、それでも度々「国民」を言及することは進展だ。国民は、政治家が「国民」を語ることがトリックであることを知っている。政治家だけが国民がだまされていると勘違いしているのかも知れない。

洪贊植(ホン・チャンシク)首席論説委員chansik@donga.com



chansik@donga.com