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[オピニオン]最後の皇太子

Posted April. 30, 2015 07:27,   

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1988年、アカデミー賞作品賞や監督賞など9部門で受賞したベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」は、溥儀(1906〜1967)の人生を描いている。1908年、2才で皇帝となった溥儀は、清の滅亡で6才で紫禁城に幽閉される。後に満州に移った溥儀は、1932年、日本の侵略の足場として建てられた傀儡政権「満州国」の皇帝となり、日本の敗戦後、戦犯となった。

◆1940年7月、溥儀が日本を訪問する時に出迎えたのが、大韓帝国の最後の皇太子、英親王(1897〜1970)だった。激変する歴史のうずに巻きこまれた悲運の皇帝と皇太子、没落した王朝の2人の後裔が出会う場面を日本が演出したのだ。英親王・李垠(イ・ウン)は、高宗(コジョン)の7番目の息子で、純宗(スンジョン)の異母兄弟だ。満十才の時に皇太子となったが、伊藤博文の建議によって同年12月、日本に連れて行かれた。名分は留学だが、実際は「人質」だった。

◆「恨」の多い人生を生きた英親王と英親王妃が埋葬された「英園」、京畿道南揚州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)の洪裕陵(ホンユルン)境内にある墓が、5月10日から一般に初めて公開される。幼くして親と別れた英親王は、日本の皇族、方子(1901〜1989)と政略結婚させられた。韓国の王室を日本の皇室に編入しようという日本の「内鮮一体」政策によるものだ。すでに英親王は閔甲完(ミン・ガプワン)との婚約が決まっていたにもかかわらず、日本は勝手に婚約を破棄させた。

◆朝鮮王朝と大韓帝国の最後の1ページを生きた英親王は、日本の魔の手によって紆余曲折の人生を送った。日本の敗戦後、王公族の身分を喪失し、韓日両国で国籍を認められない無国籍者として暮らしたこともあった。光復(解放)後も、「朝鮮皇室を認めない」という李承晩(イ・スンマン)政府の方針により、故国の地を踏むことができなかった。脳梗塞で倒れた後、1963年に帰国したが、息を引き取るまで病床から起き上がることができなかった。悲運の歴史を証言する曲折の多い人生。自分が記憶する歴史と異なる歴史を語る安倍晋三首相を見て、墓の中で最後の皇太子は何を考えているだろうか。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com



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