Go to contents

[オピニオン]監視と処罰

Posted February. 03, 2015 07:23,   

한국어

「パパ、本当に保育所に行きたくないよ」

先日、生後30ヵ月の息子が記者に話した言葉だ。「ポロロ」や「砂糖」など、短い表現を主に駆使していた息子だったが…。余りにも切羽詰っており、こんなに長く話せたのか。その瞬間息が止まった。その足で保育所に行かなきゃ。違う。まず、証拠をつかまなくちゃ。防犯カメラは設置されているのか?頭の中がこんがらがった。

気持ちを落ち着かせて、新聞に出ていた児童虐待のチェックリストから先に目を通した。まず、体に傷跡はなかった。保育所に行きたがらない理由を聞くと、「怖い」とだけ言った。専門家らは、2次被害を防ぐために、子供に「殴られたのか?」という質問を直接すべきではないといったが、我慢できず、「先生に殴られたの?」と聞いた。息子は専門家らの予想通り答えるのを避けた。

もう少し様子を見たほうがいいという妻の言葉を聞かず、その翌日、息子と一緒にその保育所に足を向けた。息子が保育士と初めて顔を合わせた瞬間を注意深く見極めるつもりだった。

ところが、全く予期しなかったこと起きた。息子は迷うことなく、先生に向かって走っていって抱きついた。父親が会社から帰宅した時よりさらに嬉しい表情で。裏切られたような気がするほどだった。

息子の問題について相談すると、保育士は事のてん末について説明してくれた。新しく保育所に通うことになった子供が大声で叫ぶという。同じクラスの子供たちがそのため、びっくりしたり、泣いたりすることが多いという。事実も確認せず、保育士を先に疑うなんて、恥ずかしかった。

仁川(インチョン)K保育所の児童虐待の映像が公開されたあと、燃え上がった国民の憤りが3週間も静まらなかった。その憤りの力は、保育所への監視や処罰のレベルを引き上げるべきだという声として噴出した。政府は連日、関連対策を発表し、マスコミも連日、記事を書きたてた。

しかし、息子のことを経験しながら、振り返るようになった。ミシェル・フーコーの指摘のように、果たして監視と処罰のレベルを高めることだけで問題を解決できるだろうか。憤りを鎮めるために、急いで出てきた数々の代案が、また別の問題を引き起こすのではないか。

特に、防犯カメラ設置の義務付けを急ぎながら、いざ、閲覧の手続きについての熟慮は足りないような気がする。設置率が21%の今も、虐待映像が放送やインターネットで無分別に再生産されているのに。これから、閲覧の条件や持ち出し過程などを徹底的に管理しなければ、深刻な後遺症が生じるだろう。

憤りは社会問題を解決する肯定的なエンジンになることもある。しかし、度を過ぎれば毒になる。動画が出てくるたびに憤り、いざ、我々は児童虐待問題に鈍くなるかもしれない。旅客船セウォル号の事故後続いてきた安全不感症のように。

記者は保育士を信じることにした。監視と処罰よりもっと強力なのは、結局信頼とコミュニケーションかもしれないという期待で。頻繁に訪れて会話をすれば、保育士がもしかすると腹を立てたとしても、もう一度考えなおしてくれるかもしれないから。家族や地域社会のボランティアが自由に出入りする米国の保育所では虐待件数がより少ないというじゃないか。帰宅の途中、憤りや疑いが先走ったことへの反省の気持ちで、保育士に送る葉書の一枚でも買いたい。

ユ・グンヒョン記者 noel@donga.com