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[オピニオン]「僧侶精神」の失踪を巡る懺悔

[オピニオン]「僧侶精神」の失踪を巡る懺悔

Posted January. 30, 2015 07:13,   

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ソウル都心のど真ん中に位置している曹溪寺(チョゲサ)は、仏教信者だけでなく国内外の観光客らが好んで訪れる伝統的なお寺だ。韓国仏教を代表する曹溪宗の総本山だ。しかし1998年は、頭を丸めた僧侶同士が、境内で血を流す暴力沙汰を繰り広げる姿が、BBCやCNNなどを通じて世界に流された。修道者らが木鐸の代わりに鉄パイプや角材を手にして、石や火炎瓶を投げつけながら、集団で乱闘劇を繰り広げるシーンが、世界の人たちにどう映ったのか気になる。

◆宗権という供え物を自分のものにするための喧嘩だった。僧侶らによる流血沙汰が、その翌年の10月、曹溪寺で再び再現されたことを受け、国民からの不信や批判を招いた。しかし、仏教界の一部からは、1990年代の殴りあいによる曹溪宗の揉め事を、「いっそ純粋で純真な時代」の出来事だと受け止めている。最近は、宗団内の権力を巡る戦いが、さらに巧妙かつ陰険なものになってしまったという。

◆「僧侶精神が姿を消した」、「この50年間、仏教が社会のために寄与したことなど一つもない」。外部からこのような言葉が聞こえてきたなら、大騒ぎになったはずだが、曹溪宗団の首長の慈乘総務院長の発言だ。一昨日、宗団の幹部から若者の仏教信者までが出席した「宗団の革新や百年大計のための四部大衆100人の大衆公事」という名のイベントで、氏はこのような告白もした。「幼いときに出家し、(お寺から妻帯もちの僧侶を追い出す)浄化をすると主張しながらお寺奪いに歩き回り、恩師の和尚のお供をして宗団政治をしたがために、僧侶としてどのように生きるべきかきちんと学んだことなどなかった」。慈乘僧侶は、白羊寺(ベクヤンサ)僧侶たちのギャンブル騒動の後、事実上の不出馬の約束を覆して2年前、総務院長の再選に成功した。

◆曹溪宗では4年ごとに行われる総務院長選挙を中心に、本寺の住職と宗会議員の選挙など、地位争いを巡るスキャンダルが後を絶たない。海外遠征ギャンブル、買春、セクハラなどもひっきりなしに起きている。出家者数は日々減りつつある。宗団の自省や刷新をこれ以上遅らせるわけには行かない時期に来ている。「いまは、『その場限りのイベント』のように映るかもしれないが、10年、20年後に収穫するという気持ちで種を撒かなければならない」。慈乘総務院長の言葉が果たして本音か一過性のイベントかは時間が物語るだろう。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com