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[オピニオン]朴婉隺氏と長女のホ・ウォンスク

[オピニオン]朴婉隺氏と長女のホ・ウォンスク

Posted January. 22, 2015 06:58,   

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母親の思い出1〓娘4人と息子2人を抱えていた母親はいつも、家事に明け暮れた。ミシンで子供たちの服を作り、冷たい風が吹けば、手から編み物を放さなかった。子供の教育にも熱心だった。長女を京畿(キョンギ)女子中学校に通わせるために、日本の算数問題集を買ってきて、翻訳してから解かせた。運動神経の鈍い娘の体育の点数を引き上げるため、暗い夕方の路地で、(ボール?)投げの練習をさせた。

◆母親の思い出2〓母親は多少のことでは驚かず、この世の中の誰よりも仮病や大騒ぎを嫌った。ひょっとして、そんな性格のためなのか、いつも冷たく感じられ、母の前では緊張しなければならなかった。1970年、数え歳で40歳の時、「女性東亜(トンア)」の長編小説の公募に、「裸木」が当選したというニュースを聞いても、興奮したり、過度な喜びを表さなかった。ただ、淡々としていた。当然くるべきものがきたという傲慢さにも見えた。

◆小説家・朴婉隺(バク・ワンソ、1931〜2011)の死後4年目を迎えて最近、長女のホ・ウォンスク氏(61)が発売した散文集「母親は今も相変わらず」の中で紹介された内容だ。随筆家の娘は、家族史のわずかな場面を一つ一つ思い出して、母親の内密な人生や文学的土壌への読者の理解を手助けしている。情にもろい母親と気の強い作家とが、どのようにして一つになることができたのか。それはほかならぬ文学の道を通じてだった。母親は文を書くことを理由に、家族の夕食をないがしろにすることも、長時間家を空けることもなかった。認知症を患った祖母や病の床に臥していた父親の世話、毎年のように直面する子供たちの入試など、あらゆる日常の労役を避けなかった。母親としての人生を、全て文を書くという労役で解きほぐしたため、韓国文学史の輝く宝物の作家・朴婉隺が存在することができた。

◆「小説のネタとして使ってはいけないものなんて、無いと思います。むしろ、平凡な日常の中に、捨てられたゴミの中に、顔を背けられたみすぼらしさの中に、隠された醜悪なところに、小説のネタが宝石のように輝いているかも知れません」。朴婉隺の1981年の李箱(イサン)文学賞を受賞した感想だ。激動の現代史を体でぶつかりながら、人生への洞察力や暖かな憐憫をもって、作家は時代像を記録した。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com