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[若宮啓文の東京小考]夢に見る「日韓共作新聞」の創刊号

[若宮啓文の東京小考]夢に見る「日韓共作新聞」の創刊号

Posted January. 15, 2015 09:28,   

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よく知る韓国の某新聞社の記者から正月にメールをもらって驚いた。「東亜日報が紙面改革のため、若宮さんを政治部長に任命した」という初夢を見たそうな。私は就任の記者会見もしたという。

私に長くこのコラムを書かせてくれている東亜日報だが、彼がなぜ奇想天外な夢を見たのか。想像を巡らせながら、私は16年前のことを思い出していた。

それは私が朝日新聞の政治部長だった1999年4月1日のこと。政治面に「小渕首相、外国人の閣僚を登用へ」という記事を載せた。当時の小渕恵三首相が日本の大改革をめざして決断したもので、候補者には改革に実績のあるゴルバチョフ元ソ連大統領やサッチャー元英国首相ら、大物の名前を挙げた。

エープリルフールのいたずらだったのだが、大まじめな解説記事まで載せた効き目がありすぎた。本気にした読者も多く、中には「そんなバカな」と怒って首相官邸に乗り込もうとする自民党議員も出る始末。韓国の某テレビ局の特派員はこれを信じて、東京から生中継でレポートしてしまった。

我々は翌日の紙面で「お騒がせしました」と種を明かしたが、読者の反応は「ふざけすぎだ」と「ユーモアに感心した」が半々で、抗議と激励の電話や手紙が殺到。幸い小渕首相は「どうせなら、もう少し若い人を起用したい」とユーモアで応じてくれた。

さて、国家の中枢を担う閣僚は論外として、果たして新聞社は編集幹部に外国人を登用できるだろうか。民間企業では日産自動車のように外国人を社長にした例もあるが、言論を命とする新聞社は事情が違う。特に韓国の新聞に日本人起用などとは想像すらできまい。

1905年、日本が強引に日韓保護条約を結んで外交権を取り上げたとき、『皇城新聞』の張志淵社長は「是日也放声大哭」(この日こそ声を上げて激しく泣くしかない)という論説を載せて逮捕され、新聞社が閉鎖された。

東亜日報は植民地時代の36年、ベルリンオリンピックで優勝した孫基禎選手のゼッケンから日の丸を消した写真を載せ、無期限発刊停止の処分を受けた。そうした歴史の数々は、日本への抵抗精神が韓国の新聞の根底にあることを物語る。そもそも、どこの国でも新聞はナショナリズムと切っても切れない縁をもつ。

だが…と考える。虐げられた時代はいざ知らず、民族の高揚期に新聞が愛国心に支配されるのは危ない。それは過去の日本を見ればすぐわかる。

例えば1905年、日露戦争に勝った日本がポーツマス条約を結んだとき、その戦果が少なすぎると言って「大哭」したのは、朝日を含む日本の新聞だった。その結果、政府を突き上げる暴動も起き、その後の韓国併合や大陸侵攻に向けて弾みをつけた。やがて日本の敗戦に至るまで、どれだけ新聞が過ちを犯したか。

いま日本の一部メディアが「嫌韓」に染まるのは嫌な過去を思い起こさせるが、一方で解放から70年、韓国メディアにはいささか抵抗の時代の残滓が大きすぎないか。

さて、そこでまた、ふと思う。いっそのこと日韓で一緒につくる新聞ができないか。経済はタッグマッチの時代に移っているし、ドラマも映画もポップスもいまや新たな文化が行き来して、共同制作も珍しくない。一緒に作る新聞があっても不思議はなかろう。

言葉はハングルと日本語の併用。事実は正確に調べて客観報道に徹し、双方に違ったデータや解釈があれば、どちらも公平に紹介する。基本理念は東アジアの平和と繁栄、そして国家権力からの独立だ。

オピニオン欄では日韓や外国の論客が入り乱れて議論を交わすが、社説は双方の論説委員が徹底的に議論して、必ず一本化させる。互いの国民感情をいたずらに傷つけず、国家元首である大統領と天皇の権威と名誉は尊重しあうことも基本とする。

問題は人事だが、社長と主筆を日韓で分け合うとするか。創刊号の社説は「是日也放声大歓」。ああ、そんな新聞ができるのはいつの世か。国交正常化50年の年頭に、私も夢みたいなことを考える。

(若宮啓文 日本国際交流センター・シニアフェロー 前朝日新聞主筆)