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[オピニオン]愛と狂気との間の女性を描いた2本の映画

[オピニオン]愛と狂気との間の女性を描いた2本の映画

Posted September. 27, 2014 03:39,   

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スティーブン・キングの原作小説を、ロブ・ライナー監督が映画化した1990年作の「ミザリー(Misery)」には、看護師出身の女性が登場する。

彼女は、事故に会った小説家を、精魂を決めて世話をする。食べ物を食べさせ、貴重な品物まで買い求めてくるなど、手となり、足となる。まるで母親でもあるかのように。小説家は、彼女の手助けで、スランプから脱し、再び小説を書くことになる。

しかし、体が回復し、原稿が完成の段階に差し掛かると、問題がおき始める。彼女は、彼を手放すべきだという現実を拒否する。彼は、そうするほど、彼女から離れようとする。

急遽、彼女は、彼の回復した足を、再び折って、脱出の意志を挫折させてしまう。そうしてでも、自分の傍にいさせたい気持ちからだ。主人公を演じたキャシー・べイツは、ほのぼのとした「母親の笑み」と狂気に満ちた無表情とを行き来する取り付かれたような演技を見せている。

映画は、女性ならではの愛と愛着、あるいは、執着と狂気とは、あまりかけ離れていない距離にあることを、「世話したい欲求」、あるいは、「統制強迫」で照明している。

「シネマ天国で」よく知られているジュセッペ・トルナトーレ監督の06年作の「題名の無い子守唄(Unknown woman)」の主人公も同様に尋常でない女性だ。

裕福な家庭に、家政婦として入った彼女は、夫婦が養子縁組をした幼い娘に、不思議なほど執着する。暇さえあれば、大げさに振る舞い、駄々をこねる子供を、両親のいないときに、縛り付けておいて倒すなど、残酷に扱う。

学校でなすすべも無くいじめを受けていた子供は、まもなく、自分を苛める悪童らに猛烈に飛び掛るスーパー少女に生まれ変わる。その姿をこっそり盗み見ながら、笑うのか、泣くのか知らないような不思議な表情を浮かべる彼女。生んだばかりの奪われた娘を捜し求めて、今日に至った彼女の過去が明らかになる。

彼女は、自分の娘かもしれない、また、まもなく別れなければならない子供のために、ぞっとするようなやり方で、「独り立ちする方法」を教えたことになる。映画は、残忍で衝撃的なシーンが多く、気持ち悪い。しかし、その疑問が解かれる瞬間、胸が詰まるほど、痛ましい。

二つの映画の女主人公の違い。「ミザリー」の彼女は、愛する人を破壊してでも、傍において世話をしようとする意志を実践する。「題名の無い子守唄」の彼女は、崖っぷちに追い込んででも、子供を独り立ちさせる強靭さを見せている。

出発点は、同じ愛(母性)だが、選択は、両極端に位置している。片方は所有を、他方は独立を目指す。現実の女性らは、どちらにも倒れないよう、重心を取りながら、綱渡りをする。抱え込みすぎて反発にぶつかるのではないか、あるいは、放置しすぎてひ弱になるのではないか、気をもんでいる。

彼女らにいつも心配事が多い理由だ。