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[東京小考] 村山元首相、90歳の執念

Posted August. 28, 2014 08:03,   

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 満90歳にして、そのスピーチと答弁はしり上がりに熱気を帯びた。先週、ソウルで行われた村山富市・元首相の講演である。村山談話は決して変えてはならない。日韓両首脳の決断で慰安婦問題に決着を。そんなメッセージからは、これだけは何とかしたいという長老の執念が伝わってきた。

 私が村山氏に出会ったのは、30年ほど前のこと。誠実だが、万年野党といわれた日本社会党にあっても、さほど目立つ存在ではなく、まさか総理大臣になるとは夢にも思わなかった。ところが政界激動の中、首相になってしまったのは、ちょうど20年前。一番驚いたのは本人だった。

 第一党でありながら過半数に及ばない自民党が、第二党の委員長だった村山氏をかついで連立政権をつくったのだ。長年対立してきた相手からの申し出を「冗談ではない」と断った村山氏だが、最後は腹をくくって引き受けた。

このとき自民党の総裁がハト派の河野洋平氏だったことも、村山氏の背中を押した。前年、宮沢喜一内閣の官房長官として慰安婦問題を謝罪する「河野談話」を出した人である。村山政権では河野氏が副総理・外相となり、戦後史に残るハト派政権が船出した。

せっかく首相になったのだから、自分ならではの仕事を残したい。95年8月15日に出された「戦後50年」の村山談話はそんな意欲から生まれた。

談話のコアは以下の部分だ。

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」

 アジアに対する謝罪の決定版となったこの談話は、連立政権の閣議で決めた。閣僚の中には名だたる自民党の右派もおり、「侵略」の謝罪は不本意だったに違いない。事実、この少し前に国会で採択した戦後50年の決議に至る過程では「あの戦争はアジアを解放した」「韓国併合は合意のうえだった」などの異論が噴出し、決議も逆効果に終わっていた。

 だからこそ、村山首相が勝負をかけたのが、この談話だった。自分は頼まれたから首相になったんだという開き直り。そして、反対するなら閣僚をやめてもらうという覚悟で閣議に臨み、異論は出ぬまま了承された。

 村山談話はその後の歴代首相に引き継がれ、日本の反省を示すものとして大いに活用されてきた。だが一方で、当時から村山談話や河野談話に不満をくすぶらせる議員グループがあり、その中に一年生議員の安倍晋三氏もいた。いま首相の地位にある彼は、そのころ右派の期待を集めるホープだった。

 さて、村山政権は慰安婦問題でアジア女性基金をつくり、民間募金を活用して解決を図ろうとした。国家補償とするには立法が欠かせず、当時の政治状況からは不可能とみた上での苦肉の策。首相をやめてからは基金の理事長にもなって骨を折ったが、韓国では理解が得られずに終わった。

そして、この問題はこじれにこじれ、いまだに打開できない。このままでは、何としてもやりきれない。そんな気持ちがソウルでほとばしった。両首脳が虚心に話し合い、「終着点を見出してほしい」というのだ。

そういえば、8月15日、朴槿恵大統領は光復節の演説を通じて慰安婦問題の決断を日本に求めていたが、同時に来年の「国交正常化50年」に向けた前向き姿勢もうかがわせた。ぼちぼち何とかしたいという願いではなかったか。

村山氏が90歳なら、解決を願うハルモニたちも90歳前後になる。あとは時間との競争である。

若宮 啓文(日本国際交流センター・シニアフェロー)