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[オピニオン]キム・ヨンミョンさんの「プライベート鄭夢準」

[オピニオン]キム・ヨンミョンさんの「プライベート鄭夢準」

Posted July. 05, 2014 03:44,   

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(12)[オピニオン]キム・ヨンミョンさんの「プライベート鄭夢準」

晩子(マンジャ)さんは1956年9月に生れた。2番目の姉ヨンスクは、晩子のオムツを替えてあげるなどしてお母さんに代わって世話をした。晩子さんは、「ヨンスクの姉さんは、代理母も同然だった」と話した。野暮ったい名前だが、末っ子だから晩子と呼んだそうだ。「ヨンミョン」という名前より、晩子さんは今もずっと親しみを感じるという。ブログに登場する鄭夢準(チョン・モンジュン)元セヌリ党議員の妻、キム・ヨンミョンさんの話だ。

◆晩子は米国の名門女子大学、ウェズリー大学の政治学科を出たが、政治への夢を追求することはできなかった。大学を出たばかりの23歳の時、鄭周永(チョン・ジュヨン)現代(ヒョンデ)グループ会長の息子、鄭夢準氏と結婚した。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された1979年10月26日の3ヵ月前だった。そして2男2女を産んで育てながら普通の主婦になった。金東祚(キム・ドンジョ)元外務長官の娘であることを学閥を考えると、社会活動に参加しても良さそうだが、財閥家のお嫁に満足しているかのうように見えた。

◆2002年、鄭夢準氏が新党「国民統合21」を作って大統領選に立候補した際、晩子さんの優雅な容姿は話題を呼んだ。「学歴や容姿などで決して夫に劣らない」という意見もあった。大統領選前日の夜、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が候補一本化の約束を破ったことに抗議して鄭氏の自宅を訪ねたとき、晩子さんは玄関のドアを開けてあげなかった。ハンナラ党の旗さえ立てれば当選できた蔚山(ウルサン)で6回連続で当選した鄭氏が2012年に政治への大志を抱いて、背中を押される形ではソウル銅雀(トンジャク)乙選挙区に出馬すると、晩子さんは住民に思い切り擦り寄った。6・4ソウル市長選では朴元淳(パク・ウォンスン)候補の妻が一切表に姿を現さなかったのとは対照的に、夫の傍で選挙運動を積極的に手伝った。

◆セヌリ党が鄭氏の選挙区だった銅雀乙にキム・ヨンミョンさんを立てる案を検討したという。「恨みを晴らす」選挙戦で、政治家の妻が出馬する場合は、政治家本人の死亡や身柄を拘束され、同情票を狙うためのものだった。かつて、朴哲彦(パク・チョルオン)氏が獄中にいるとき、大邱(テグ)で妻のヒョン・ギョンジャさんが補欠選挙に出馬して第14代国会議員を務めたことがある。キム・ヨンミョンさんの出馬問題について、鄭氏側は「全く考慮していない」と言い切った。妻が国会議員になれば、鄭氏は妻のために内助の功に徹するのだろうか。

チェ・ヨンヘ論説委員 yhchoi65@donga.com