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悲しみの海で希望の火種を蘇らせる人たち

悲しみの海で希望の火種を蘇らせる人たち

Posted April. 25, 2014 03:14,   

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旅客船「セウォル号」沈没事故に会った行方不明者の家族らは、珍島(チンド)室内体育館に集まって、気力の尽きた状態で横になっていたり、点滴を受けたりしている。憤れるほどの気力すら残ってないのか、救助作業を伝える大型スクリーンのみ、無表情で見守っている人たちが多い。彼らの間を、気を使って行き来しながら食事を運んだり、頻繁に清掃や整理整頓をし、洗濯をかき集めている人たちが目に付く。主婦や大学生、会社員など、全国から詰め掛けてきたボランティアたちだ。彼らは、体育館の傍のテントにマットを敷き、3、4時間の短い睡眠を取りながら、トイレの清掃や医療ボランティア活動など、与えられた役目を黙々とこなしている。遺体発見のニュースが伝わるたびに、嗚咽する家族を暖かく慰めることも、彼らの役目だ。

体育館から彭木(ペンモク)港に、遺体を見つけるために行く遺族のために、ワゴン車を運行するボランティアたちは、檀園(タンウォン)高校のある京畿安山市(キョンギ・アンサンシ)から来た普通の家長たちだ。生業を放り出したまま、遠い道のりを走ってきた彼らは、「同じ町に住んでいる人たちであり、余計心が痛む。全ての遺体を見つけるときまで、子供に会える最後の道だと思って、手助けしたい」と話した。行方不明者の家族から遺族へと一瞬にして立場の変わった檀園高校の保護者らを、彭木港から400キロ以上も離れた安山の葬儀場まで、毎日、無料で乗せるタクシー運転手らもいる。

全国民が心をこめて、「孟骨水道(メンゴルスド)の奇跡」が起きることを祈ってから、今日で10日目に差し掛かっている。珍島室内体育館や彭木港の2ヵ所の全ての日常は、ボランティアらの力によって動いている。国が自分の役割を果たせず、右往左往している間、政府に代わって、ボランティア1万人あまりが事故現場で、被害者家族らの支えとなっている。

彼らの苦痛の身代わりはできなくても、悲しみを一緒に分かち合おうという行列は、臨時合同焼香所でも目にすることができる。一昨日に開設された安山オリンピック記念体育館の焼香所には、深夜まで一般弔問客らの列が続いている。幼くてみずみずしい顔の生徒証写真が、遺影になって、喪やにかかっている姿を見ながら、弔問客らは絶えず、涙を流した。焼香所の入口の掲示板には、涙ぐましいメモで一杯だった。「お姉さん、お兄さんたち、よいところに行って下さい」と、くねくねと書いたメモから、「葉っぱより青々とした君らが、なぜここに…窓の外の生い茂る新緑を見ることすら贅沢な気がする」という追悼のメッセージは、犠牲者家族の悲痛な気持ちを慰めている。

ボランティア活動は、共同体のために、なんら代価を望まず、自分の持ち物を分かち合う活動だ。国連は、ボランティア活動は、地球村が直面している多くの問題を解決できる重要なエンジンになるだろうと見ている。07年12月7日、忠鋻南道泰安(チュンチョンナムド・テアン)の沖合いで、史上最悪の原油流出事故が起きたとき、海を埋め尽くした死の油の帯を取り払い、泰安を蘇らせたのも、100万人を超えるボランティアたちのおかげだった。

わが先祖らは、飢饉や自然災害などの困難や心配事が起きれば、お互いに助け合う美徳を実践してきた。朝鮮時代の頲約(ヒャンヤク=朝鮮時代の村の自治規約)の4大徳目といわれている「患亂相恤」の伝統が、ボランティア活動の波へと引き継がれたのだ。このような精神が、巨大な悲しみの海に浸っている大韓民国の共同体を守る小さな希望の火種になることを願う。−彭木港で。