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セウォル号、三湖ジュエリー、タイタニックの船長たち

セウォル号、三湖ジュエリー、タイタニックの船長たち

Posted April. 23, 2014 04:09,   

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セウォル号の惨事は、利益だけを追求して安全を顧みなかった悪徳船舶会社と無責任な船長が作り出した人災だ。イ・ジュンソク船長(69)は、本来の船長が休暇のためにセウォル号を任された代理船長だ。国際貨物船の船長を25年間務めた国立木浦(モクポ)海洋大学のイム・グンス教授は、「ちゃんとした船長を雇うべきだが、清海鎮(チョンヘジン)海運が人件費節約のために責任感や実務の力量に欠ける人を使った」と指摘した。イ船長は1年契約で月給が約270万ウォンだった。

セウォル号では、代理船長の下で指揮体系や危機対応マニュアルがまったく作動しなかった。珍島(チンド)管制センターが、「船長が最終判断をして乗客を脱出させるか決めなさい」と促したにもかかわらず、セウォル号からの応答は、「脱出すれば救助できるのか」というものだった。沈没海域から珍島郡東巨次島(ドンゴチャド)までの距離は1.5キロ。漁船が10分以内で到達できる距離だ。乗客がライフジャケットを着て甲板に出て海に飛び込んだなら、多くの人が救助されただろう。

セウォル号の船長と船員が乗客を船室に残して船から先に脱出したことは、タイタニック号以来の「海の法則」に反する行為だった。タイタニックの2等航海士チャールズ・ライトラーは米上院聴聞会で、「船長の指示に従って女性と子どもだけ救命ボートに乗せた」と証言した。そして「それは海の法則か」という質問に「人間本性の法則だ」と答えた。彼は救命ボートに乗った男たちに「卑怯者」と言い、銃を突きつけてボートから降ろした。

船橋は、甲板の中央にある船長の指揮所だ。タイタニック号の船長エドワード・ジョン・スミスは、船橋が浸水して窓が水圧で割れた時も、操舵を握っていた。ある乗客は、「スミス船長の腰まで水に浸かっているのを見た」と最後の姿を記者に伝えた。スミス船長は、解氷期の流氷警告を黙殺し、高速航海するミスを犯したが、タイタニックと共に沈むことで英雄になった。

スミス船長の故郷である英リッチフィールドには銅像が立っている。銅版には、彼が危機的状況の中、船員に最後に言った言葉が「Be British(英国人らしく行動せよ)」だったと刻まれている。この言葉は韓国メディアでもよく引用されているが、英国の報道機関やドラマ作家がスミス船長の英雄的な死を美化した作文という見方が有力だ。そうだとしても、船長と船員の最後の姿が誇らしいがゆえに、このような作文が生まれたのだろう。生存した船員ジェームズ・マクギャンは、スミス船長の最後の言葉をはっきりと証言した。「あなたたちは義務を果たした。今から自分の生存のために戦え。神のご加護があらんことを」。乗客救助に最善を尽くした船員に冷たい海から各自が生き残る道を見出すよう命じたのだ。

セウォル号の事故原因について、沿岸旅客船の運航実態をよく知る専門家は、貨物と自動車をしっかり固定しなかったためにこのような大惨劇が起きたと推定した。セウォル号の貨物室には、車両180台と貨物1157トンが積まれていた。船が大きく航路変更する際、しっかりと固定されていない貨物が片側に傾き、船が復元力を失ったということだ。船が傾いた時にドンという音がしたのは、貨物の衝突音の可能性が高い。

このような事故を防ぐには、装備と人員を増やして貨物をしっかり固定しなければならないが、時間がかかるうえコストに直結するために手を抜いているというのが船舶業界では周知の事実だ。荷役の時間を節約するために、船が済州(チェジュ)港に到着する1、2時間前から荷物を解くという話もある。セウォル号は霧のために2時間遅れて出発し、荷を下ろす作業を急いだ可能性がある。警察が捜査して究明しなければならない点だ。

韓国に卑怯な船長だけがいるわけではない。命をかけて海賊をだまして時間をかせぎ、チェ・ヨン艦と海軍特殊戦旅団の作戦を助けた三湖(サムホ)ジュエリー号のソク・ヘギュン船長もいる。ソク船長は海賊に銃で撃たれながら、船員と船体を守った。イ・ジュンソク船長は、韓国の船長の名誉を汚した。生徒たちが船室に閉じ込められて生死をさまよっている時に、水に濡れた5万ウォン紙幣を乾かしていた。このような資質の人間に数百人の命を任せたことは、個人の問題だけではなく韓国社会の構造的な欠点だ。