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[オピニオン]バカ盧武鉉と軽い安哲秀

Posted April. 07, 2014 07:47,   

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故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1995年、ぷさsン(プサン)市長選挙に野党民主党候補として出馬して落選した後、1998年にはソウル鍾路(チョンノ)区の国会議員補欠選挙で当選した。続いて2000年の総選挙では、再び釜山北・江西乙選挙区で立候補。民主党の不毛の地、釜山で立候補する理由について、「この国を蝕んでいる地域対立主義を打破するため」だと語り、強烈な印象を残した。選挙では落ちたが、この時に得た「バカ盧武鉉」という愛称は、力強い政治資産となった。

◆新政治民主連合の安哲秀(アン・チョルス)共同代表が立党後初の議員総会で、「盧武鉉大統領はバカみたいだと言われながらも、絶えず自分を犠牲にする姿を見せた。国民はそれを忘れなかったし、大統領にまで押し上げた」と話した。地方選挙の基礎自治体首長選挙と基礎議会議員選挙の候補公認を放棄する方針に関連して、党内で見直しを求める声が高まると、「バカ盧武鉉」を持ち出したのだ。安代表は、やがては「金姸児(キム・ヨナ)選手の金メダルが判定で銀メダルに変わった。だが国民は金メダル選手を覚えているのか。そうでない。銀メダル選手を覚えている」とも話した。

◆党内でさえ意見が分かれる問題で、盧元大統領と金姸児選手の例に喩えることに、どれだけの国民が共感するだろうか。正義党の魯会燦(ノ・フェチャン)元議員は、「公認廃止の公約は典型的なポピュリズム公約で反政治的公約だ」と批判した。魯氏は、「安哲秀の新政治は蒸発した」と言い、安氏に狙いを定めた。両党による既得権構造を打破するとして独自新党を作ると公言した安氏が、37日目で突然民主党と合併した約束違反を批判したものだ。

◆安氏と決別した尹汝雋(ユン・ヨジュン)元新政治連合議長は、「すぐ昨日まで古い政治勢力と決め付けていた民主党と、一夜にして力を合わせて党を作ると言い出したのは衝撃的だった」とし、「信念の足りない政治家は、目先の利害損得にしがみつくことになる」とトゲのある言葉を吐いた。「バカ盧武鉉」の道と、転身を繰り返しているフットワークの軽い安氏の道が、いずれは重なることになるのか、それとも違う方向に向かうのか見届けたい。

朴成遠(パク・ソンウォン)論説委員 swpark@donga.com