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[オピニオン]第一毛織と李秉迵氏

Posted April. 01, 2014 07:31,   

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三星(サムスン)グループ創業者の李秉迵(イ・ビョンチョル)氏は、60年前の1954年、第一(チェイル)毛織を設立した。李氏が、「3年以内に商品になり得る良質な毛織製品を披露する」と宣言すると、米国の毛織メーカーのある重役は、「もしそうなったら、私は空を飛んでみせる」と皮肉った。しかし、第一毛織は1956年、製品生産を開始し、1958年には初の黒字を記録、韓国繊維産業の新たなページを切り開いた。

◆第一毛織が、国産背広生地を発売するまでは、背広を新調するためには、マカオから密輸した高価な英国製毛織に頼ることが多かった。「マカオ紳士」という言葉はそこから生まれた。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が工場を訪問し、「愛国的事業だよ。第一毛織の努力で、全国民が品質のよい国産背広を着られるようになった」と感激した。同社への李秉迵氏の愛情も格別なものだった。第一毛織は、李氏が代表取締役を担当していた数少ない三星系列会社のひとつだった。

◆織物事業でスタートした第一毛織は、ファッションやケミカル、素材事業に次々と進出し、革新を繰り返した。会社の設立年度は、三星物産(1948年)や第一製糖(1953年)より遅れをとるが、グループの実質的母体として認められてきた。長い間、「三星の人材士官学校」とも呼ばれた。李鶴洙(イ・ハクス)元三星構造調整本部長(副会長)やキム・ジンワン元三星重工業副会長、李相鉉(イ・サンヒョン)元三星電子社長、宋容魯(ソン・ヨンロ)元三星コーニング社長、柳錫烈、(ユ・ソクリョル)元三星生命社長、金仁宙(キム・インジュ)三星物産社長は、皆第一毛織の出身だ。

◆三星SDIが、第一毛織を吸収する形で、両社が7月1日付けで合併する。部品と素材企業とのシナジー強化が主な目的だが、三星家の3世らの後継分割構図とも無縁ではなさそうだ。統合社名は、三星SDIに決まり、第一毛織は、人に喩えれば還暦を迎える年に、法人としての歴史を終える。ただ、三星で第一毛織が持つ象徴的意味合いは大きく、昨年12月、第一毛織のファッション部門を引き受けた三星エバーランドが、社名を第一毛織に変える案について積極的に検討している。この60年間、韓国の産業化と人材育成に貢献してきた功労を考えれば、そうしてでもその名を維持するのがよさそうな気がする。

権純活(クォン・スンファル)論説委員 shkwon@donga.com