Go to contents

[オピニオン]世界のパンソリ

Posted November. 10, 2003 23:15,   

한국어

妓生(キーセン、韓国の芸者)メンリョルは有名な歌い手(名唱)の宋興祿(ソン・フンロク、1800〜?)のパンソリ(韓国伝統の語り謡)を聞いて恋に落ち、夫婦の縁を結んだ。ある日、宋が唄を歌いに行くと家を出て行ったきり20日間も帰ってこないため、メンリョルは他の妓生と浮気でもしていると思い込んで家出してしまう。びっくりした宋はメンリョルがいるという晋州を訪ねるが、晋州兵使の李キョンハから意外な提案を受ける。水宮歌のうち、「ウサギの腹を切る」のくだりを歌って自分を泣かせれば褒美を与え、そうでなければ首を切ると脅されたのだ。宋を憎んだあまりメンリョルが仕組んだことだった。彼があまりにも切なげに歌ったので、一緒にいた兵士がみんな涙を流したと言い伝えられている。宋がたくさんの褒美をもらい、メンリョルとよりをもどしたことは言うまでもない。

◆パンソリの歴史はおよそ200年に過ぎないが、19世紀の初めに宋興祿や牟興甲(モ・フンカプ、1803〜?)のような伝説的な名唱が登場したことで急速に発展した。彼らは思いのままに聴衆を笑わせ泣かせたという。王の前でも公演したが、宋興祿と同じ年配の牟興甲は第24代王の憲宗から、宋興祿は哲宗から位を授けられている。当時は身分の低い芸人に高い位が授けられることは想像だにできなかった時代だから、途方もない破格な取り扱いだったわけだ。王までも彼らの謡声に魅せられたに違いない。

◆そのため、名唱だと噂されるようになると大金を稼いだ。名を言えば誰もが知っているヤンバン(朝鮮時代の貴族階級)が先を争って名唱を呼んで歌を聴いたというのだから、最近流行の「スター」に他ならない。当時のヤンバンは詩や絵のような芸術的な教養を持ち備えるのが基本だった。このような文化的な豊かさが、パンソリを豊かにさせる力になったのだろう。歌い手の独創性を得るための努力もまた熾烈だった。師匠の声をそのまま真似る謡声は「写真の声」だとして高い評価を得ることができなかった。自分だけの個性を表す声を見出さなければ認められなかった。掘り下げて考えてみるに、こんにちの韓国文化産業も、この二つを確かに備えれば成功が保障されるだろう。

◆パンソリがユネスコの世界無形文化遺産に選定された。喜ばしいことである。パンソリは西洋にはない韓国独特な声楽である。韓国の魂がそのまま溶け込んでいると好評だ。それはパンソリを作り出した下層階級のハン(恨み)と情が込められているからだろう。だが、懸念すべきなのはパンソリを理解する大衆が日増しに減っていることだ。パンソリを知らない人々に、どうやってパンソリの大きな発展を期待できるだろうか。真の歌い手を区別できる「耳の名唱」を増やすのに力を合わせる時だ。

洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com