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総理夫人インタビュ-

Posted February. 09, 2017 09:55,   

Updated February. 10, 2017 09:14

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安倍晋三総理夫人の昭恵夫人を近くで見たのは一か月前,日本外務省の招待を受け,東京で開かれた「国際女性会議WAW!」に参加した時だった。彼女は安倍総理の祝辞演説があった初日から行事の間ずっとその場を守り,翌日の昼食会では「女性の内面的な力」についてスピーチを行った。

記者が驚いたのは,昭恵夫人に対する大衆的な人気だった。行事の会場に参加した日本人の女性たちは,彼女と写真を撮るために長い列を作った。インタビューを要請したのはその日だった。夫人は東亜日報をよく知っていて,数日後,秘書より肯定的に検討するとの返事が来た。望ましい日韓関係に対する考えと共に,ファーストレディーとしての人生,そして普段から少数者や反対者を包容し,夫人が語ってきた平和と友愛のメッセージを伝えたいとのことだった。

2週間後,外務省からインタビューに応じるとの連絡が来た。それから数日後,在釜山日本総領事館前に立てられた少女像によって日韓関係が再び悪化の一路をたどる状況であったため,インタビューができなくなるのではないかと心配したが,インタビューは予定どおりに19日午後4時に東京の総理公邸にて行われた。日本で女性科学者として働いている宋 苑瑞(ソン・ウォンソ)地理学博士が通訳を引き受けてくれた。

夫人は2日前,安倍総理と共にフィリピン,豪州,インドネシア,ベトナムの4か国を歴訪して帰ってきた。今年に入って特別に外交に力を入れている夫を手伝うため,毎日ハードなスケジュールで忙しそうだった。雰囲気を和ませるため,「韓流」の話でインタビューを始めた。「好きな韓国ドラマや俳優はありますか」と聞くと,満面の笑みに少し心残りがある表情を浮かべ,このような答えが返ってきた。

「最近はドラマ自体を見る時間がありません。最初に見た韓国ドラマは『冬のソナタ』です。韓国語の勉強を始めた頃だったので,勉強がてら見始めたのが完全にはまってしまいました(笑)。その後も,時間があれば,韓国ドラマをよく見ていました。俳優の中では,故・朴容夏(パク・ヨンハ)氏と仲良くなり,一緒にゴルフをしたり,食事もしたりしていたので…亡くなった時はとてもショックでした」。

彼女の表情から故人の死を悼む真心が感じられた。

―何度も韓国を訪問したと伺っているが,印象的だった思い出はありますか。

「(銭湯で)アカすりをしたことです」。  

その瞬間,記者はもちろん,同席していた外務省職員を含めた6人は大きく笑った。続いて夫人は,「他の人たちと同じように服を脱ぎ,裸になって横になりましたが,アカすりをしてくださる方があまりにも丁寧に洗ってくださって,子供になったような気持ちになった」と話した。恥ずかしい話だったかも知れないのに,ためらうことなく話す夫人の姿から素直さ,かざらなさが濃く滲み出た。雰囲気はすぐに和気あいあいになった。

―韓国と日本の文化の違いは何だと考えますか。

「何だろう…。韓国は人同士の距離が近いという感じがします。初めて会う人とも上手く話したり,すぐに仲良くなると思います。日本は一人一人がそれぞれです。初対面の人とはあまり話さなかったり,本音もあまり明かしません」。

―同じだと思う点は何ですか。

「たくさんあります。釜山と姉妹都市を結んでいる下関で日韓交流のお祭りが開かれた際,何度か訪れたことがありますが,誰が日本人で誰が韓国人なのかが区別できない程,まず,見た目が似ています」。
―東京で居酒屋「UZU」を経営したり,料理本を出すほど,料理にご関心がおありですが,好きな韓国料理は何ですか。


「チャプチェです。キムチも好きです」。

―辛くないですか。

「(首を振り,)いいえ」。

―東京で開かれたキムチ作りの行事で,口を大きく開けてキムチを食べる写真を見たことがあります。

「(駐日)韓国大使夫人が主催した行事にも参加し,下関での行事の際にも参加して一緒にキムチを作りました。用意された材料を白菜の中に入れる程度でしたが,家にはキムチ冷蔵庫もあります。良いキムチを作って入れようと思っています。」

―どのようなキムチが入っていますか。

「まだ何も入っていない(笑)」。

―冷蔵庫は韓国製ですか。

「日本製のキムチ冷蔵庫はないですから。韓国人の方は凄いと思う。日本も韓国のキムチのようにおかずとして外せない漬物がありますが,それ専用の冷蔵庫はありません」。

夫人の表現は節制されているが,一目でみても自由奔放で,謙遜な人であると思えた。普段から周りの目を意識しない自由な行動で,世間の話題になったこともある彼女にとって,政治家の妻として生きることとはどのようなものだろうか。

―日本メディアは夫人を「家庭内野党」と呼んでいますが。

「どのような家庭でも,夫婦や家族が全員同じ考えを持っていることはないじゃないですか。私も同様,総理夫人だとはいえ,私だけの考えを持つことはよいことだと思います。もちろん,夫を支えることに変わりはありませんが,夫に伝わらない様々な人々の意見をまとめて届けることも妻の役割だと思います。周りの人は,総理が聞きたがらない話をすることは避けようとするから。もちろん野党は例外ですけど(笑)」。

―ここ数年間,日韓関係が非常に悪かった時にも韓国への好感を多く表現されましたが,安倍総理の顔色は気になりませんでしたか。

「いいえ。韓国のおまつりに参加したりすることは,決して悪いことではないと思います。招待を受けて参加したことであり,むしろそのようなことについて非難する方がおかしいと思います。日比谷公園で開かれた日韓交流おまつりに参加したことをfacebookにアップしたら,批判のコメントが多くついて,とても悲しかった。韓国もそうでしょうが,メディアは良い面を扱う時もありますが,悪い面を浮き彫りにして報道する場合があるじゃないですか。韓国をよく知らない人たちは,それだけを見て,韓国はこうだ,韓国人はこうだと簡単に決め付けてしまう。そうすると,段々韓国から離れていってしまう。国益というものがあるので,政治的な側面においてはぶつかることもあるかもしれないけれども,そうでないところではよいところもたくさんあるわけじゃないですか。個人もそうですが,国同士も互いによいところを見ようと努力することがお互いにとってよいと考えます」。

朴槿恵大統領の就任以降,ギクシャクしていた日韓関係は,慰安婦合意を契機に過去を乗り越え,未来へ向かおうという世論の声が高まっていた。しかし,台頭してきた釜山少女像問題が再び日韓関係をこじらせている。夫人が考える日韓関係の未来とは何か気になった。

「韓国は『何があっても』日本にとってとても大事な国であるということに変わりはないと思います。政治は政治の色々なプロセスがあると思いますが,政治とは別に,民間交流を通じて民間同士が会い続けることが必要だと思います。下関と釜山は「ママさんバレーボール大会」を開催し,毎年,お互いが行き来しながら試合を行っているのですが,試合が終わったら,結果に関係なく,誰もが美味しい物を食べて,お酒も飲みながら一緒にアリランを歌います。このようなことを続けていくことが重要だと思います。政府間では問題があったとしても,国民同士は仲良くしているということが重要です」。

このテーマでは夫人の話が長く続いた。

 「韓国と日本はずっと遡れば,血が混じっていると思います。これからも互いが努力し,よい関係を作っていこうと話したいです。人との関係もそうですが,互いが嫌だとして背中を向けると,そこで終わってしまうこともあり得るので,気に入らないことがあっても努力することが望ましいと思います。私も両国の関係がどうすれば良くなるかを考えたいと思います。韓国にもまた行きたいですね。ところで,記者さんは韓国文化と日本文化にはどのような違いがあると思いますか」。

夫人の急な質問に,記者は一瞬,慌てた。話したいことは多すぎたが,今日与えられた時間内(40分)で可能な限り多くの話を聞くことが目標だった。「今後,機会があれば,夫人が経営されているお店でお酒を飲みながら長く話したい」と答えると,一同に笑いが広がった。

―安倍総理の引退後,韓国との民間交流のような活動を行う考えはありますか。
「はい。子供の交流をしたいと思います。また,環境問題にも関心がありますが,お互いが会って話し合うことも良いと思います。昨年,ハワイで日本と米国が主催する環境フォーラムを開催したのですが,今年は沖縄で開きます。韓国と台湾,中国も一緒に参加してほしいと思います。海は繋がっているので,海洋環境を守るため,どのような努力をすべきかをお互いに話し合えたら良いと思います」。

―政治家としての安倍総理の長所と短所があれば。

「長所といえば…全ての人に対して同じ態度を取るという点だと思います。上の人だから媚びへつらったり,下の人だとして偉ぶったりしないです。短所は,性格が少々気が短い所でしょうか。早口ですね。最近は周りから指摘を受け,ゆっくり話すように努力して他人の話をじっくり聞こうとしているようです」。

―総理に対する支持率はかなり高いです。国民とのコミュニケーションに力を入れているとの印象がありますが。

「限られてはいますけど,可能な限り現場に多く行こうとしています。被災地も訪れて,人々の意見を聞いています。毎日,総理のスケジュールが新聞に載っているため,国民は総理が誰に会うか,全てを知っています。本当に5分,10分刻みで会っています。そこで色々な民意を聞いています」。

―日々,時代の不確実性が大きくなっており,今年のダボスフォーラムでも「リーダーシップ」を重要な課題として扱いました。夫人が考える政治家が持つべき徳目の中で重要だと思うものがあれば。

―正しいと思うなら推し進める決断力を持つべきではないかと思います。国や地域に対して大きな視野を持ち,変化を敏感に感じる力,そしてコミュニケーション能力も重要です。最近,多くの外国の首脳らに会っていますが,首脳会談だといっても,人と人が会うことなので,人としての「人間力」もやはり必要だと思います」。

―日本社会が優先して解決すべき課題は何でしょうか。

「少子高齢化の時代で医療費への負担が大きくなり,労働力が減ることは大きな問題ですが,私は地方の活性化も重要だと思います。都市も良いですが,やはり日本の魅力は地方にあります。地方に住む人々がより生き生きと暮せるよう,私も手助けしたいです。田舎には金が与えるものではない,真の豊かさのようなものがあります。経済ももちろん重要ですが,都市では物質的な豊かさだけにこだわり,そこから抜け出せていないような気がする。幸いなことに,最近,若者の考え方も大きく変わっています。モノに対する所有よりは,仲間や同僚をより大切に思ったり,車がなくても別に構わないとかね」。

―先日,ブルームバーグ通信とインタビューをなされた際,「カワイイ文化」が日本の女性の地位を下げると話されていたが,どのような意味でしょうか。

「そのように直接的な言い方はしなかったですけど(笑)…日本のカワイイ文化は他人に好感を感じさせる文化であり,それ自体は良いと思う。ただ,かわいい女性,子供っぽい女性だけを日本の男性が好むとなれば,全ての女性が男性から好感を得るために子供っぽく行動し,かわいいふりをする女性が多くなるじゃないですか。すると,女性本来の能力を発揮できないのではないか,かわいい女性を好む男性はいても良いが,そうではなく,より成熟した女性,自分の意見をはっきり言う女性を好む男性も増えると嬉しいという趣旨の話でした」。

―時々,歴代のファーストレディーとは異なる活動をされて話題を集めました。例えば,ゲイ・パレードに参加するなどといった活動について。

「(笑みを浮かべながら)いきなり参加したわけではない。エイズに関わる仕事をしているが,ゲイの中には,エイズの患者が多いため,そのような行事に参加し,直接彼らの話を聞くことはどうかという提案を受け,参加したのです」。

―どういう印象を受けましたか。

「何だろう…何だか解放される感じがした。『総理の妻は,政治家の妻はこうあるべき』とか,『安倍家の嫁,または女はこうあるべき』という枠があるが,そちらの世界には境界がないじゃないですか。男だけど女だったり,女だけど男だったりする。とても複雑なんです。彼らに会って,『あ,何でもいいんだ。私もあまり枠に縛られる必要はないんだな』という安心感のようなものを感じた」。

―最も辛かった出来事があったとするなら。

「夫が1回目の総理職を辞めた時だった。なぜここまで非難を受けなければならないかと非常に辛かった。その当時は,笑っている人を見ても涙が出るくらい,精神的に限界に達していました」。

―どのようにして乗り越えましたか。

「何かをしたというよりは…時間が自然と解決してくれたと言えるでしょうか。振り返って見ると,むしろその時の経験が今の私には必要な経験であったというのがわかるけれども,辛い時はそれがわからないので」。

彼女は少し呼吸をととのえ,話を続けた。
 
「私は普段から自分の内面から湧き出る考えが非常に大切だと思います。どのような困難に出会った時にも,自分に問い掛け,答えを探す方です。もちろん,他の人に相談することもできますが,結局は人の意見なので,決定は自分で下さなければならないので,常に自身と会話をし,どうすれば良いかを問い掛けていると答えが出てくるという感じです」。

―私生活に関する内容であるため,気を付けないといけませんが,日本メディアとのインタビュー記事で,「子供がいないと批判された時は辛かった」と答えたことがありました。そのような悩みを打ち明けたきっかけがあったのでしょうか。

「特別なきっかけがあったというより,昨年に週刊誌『AERA』が『子供がいない人生』に関する特別企画としてインタビューをしたいと言われ,それを受けたまでです」。

―不妊で苦みましたか。

「私自身が落ち込んだというよりは,他人が私に向かって言うことに対して落ち込みました」。

―どのようにして克服されましたか。

「やはり時間でした」。

一同に再び静かな笑いが広がった。

―生まれ変わるとしたら,どのような人生を生きたいですか。

「さあ。生まれ変わっても安倍総理と結婚したいという話はたくさんしているのですけど(笑)。正直,本当に生まれ変われるとしたら,全く別の人生を生きてみたいですね(笑)。生まれ変わっても日本で生まれたいです。」

―世の中の政治家の妻たちへのアドバイスがあれば。

「敢えて言うと,政治家の妻だから出来ることを『楽しんでください』と言いたい。私は東京で生まれ育ちましたが,結婚して夫の故郷である山口県にも住み,地方の生活も経験し,多くの人々に出会うことができました。東京で働くサラリーマンと結婚したら,絶対会えなかった人たちです。もちろん,今も忙しい日程で大変な部分もありますが,経験は貴重なもので,他の職業では体験できないものだと思います。しっかり『味合うべき』体験だと思います。

―居酒屋の運営は続けるつもりですか。

「はい。下関には「UZUハウス」というバックパッカーのためのゲストハウスもあります。韓国の方々にも是非訪れて頂きたいです。眺めがよく,「UZUハウス」では使えませんが,『ウォン』も下関の一部商店街で使えます」。

―お店を経営しながら一番学んだことがあれば。

「小さいけど,組織や会社を経営することはやはり大変なことなんだなと感じました」。

―赤字は出ていませんか。

「(笑いながら)まだ大丈夫です」。

インタビューを終え,昭恵夫人は自分の著書「『私』を生きる」にサインをしてプレゼントしてくれた。明るい表情と朗々とした声でドアの外まで出て,お辞儀をして挨拶しながら見送る姿から,「令夫人」の威厳さよりは,「洗練された日本人女性」の親切さや素朴さを感じることができた。

「過去の歴史問題」など,複雑に絡み合った問題はしばらくさて置き,現在と未来の話だけをしようと決心して臨んだインタビューだった。両国とも戦後世代が既成世代になってしばらく経っているが,過去の痛みと苦痛の記憶を消すためには,夫人の言葉通り,さらに「時間」が必要なのかも知れない。しかし,悪い点より良い点を互いから見て学ぶ日本と韓国になってほしいという夫人の言葉に共感した。韓国の記者と「日本のファーストレディー」,国籍も職業も全て異なることばかりだったが,日韓両国が世界がうら羨む兄弟国として生きてほしいという望みだけは,違わないことを強く共感したインタビューだった。公邸を出る時の気持ちが東京の青い空のように明るかった。

許文明 angelhuh@donga.com