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[オピニオン]原子爆弾、過去と現在

Posted September. 12, 2016 08:31,   

Updated September. 12, 2016 09:09

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韓水山(ハン・スサン)の長編小説『軍艦島』は、日本の植民地支配末期、端島に連れて行かれて石炭を掘る徴用者の話を描いた。日本は徴用者を「徴用に喜んで応じた人々」とし、「応徴士」と呼んだ。彼らは、三菱鉱業が所有した端島の30℃を超える海底炭鉱で1日12時間以上働かされた。耐えられずに一部の徴用者は命をかけて「地獄島」を脱出し、船で50分の距離の長崎に逃れる。

◆長崎の三菱重工業造船所と兵器製作所に流れ着いた徴用者を待っていたのは、原子爆弾「ファットマン」だった。1945年8月6日、広島に得体の知れない新型爆弾が落ち、被害が莫大だといううわさが長崎まで広まった。3日後、米軍はファットマンを長崎北方の小倉に落とすために出動した。ここで空襲警報に驚いた日本人が、コールタールを焼いて煙を上げたという話がある。肉眼で投下地点を確認できなかったB29は、機首に長崎に旋回した。

◆ファットマンは半径15メートルを火だるまにした。焼けた地面の温度は3千~4千℃だった。爆心地から4キロ内にいた人は蒸発したり、服と皮膚が溶けてしまった。喉が乾いた血だらけの負傷者は、体につかないように本能的に腕を上げて飲み水を探し回った。韓水山は、被爆者に関する日本の資料を翻訳した妻と娘が「もうできない」、「食事が喉を通らない」と言うほどだったと伝えた。長崎で亡くなった7万人余りのうち約2万人が徴用者を含む韓国人だった。日本の救護隊は、「アイゴ、アイゴ」と苦しむ韓国人をよそに「痛い、痛い」という負傷者に駆け寄った。

◆徴用者など一部は負傷者の救護と死体の処理をした。韓水山は、「人の姿を見せた」と強調する。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の5回目の核実験で韓米に劣らず日韓の共同対応が切実になった。北朝鮮の核の脅威に対抗して日本と協力することを歴史のアイロニーと見ることもできる。しかし今は世界が手を握って人の道を見せる時だと考える。

異鎮(イ・ジン)論説委員leej@donga.com