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「長安や北京が首都だったときの中国は暗黒期」

「長安や北京が首都だったときの中国は暗黒期」

Posted July. 02, 2016 07:18,   

Updated July. 02, 2016 07:44

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世界主要2か国(G2)に成長した中国を理解するためには、どうすべきだろうか。中国語を学んだり、映画や小説を通して文化を学んだりすることもできる。

中国語文学会会長を歴任した著者は、中国の首都だった長安や洛陽、そして北京から、その手がかりを探ろうとしている。

著者は、中国歴代王朝の首都によって、中国の性格が変わったとみている。秦と漢などの首都だった長安と、元、明、淸の首都だった北京は、百姓をうまく統治するためのところではなかった。中原の町はずれだった長安、北京が首都となったのは、中原を狙った異民族王朝が自分たちの根拠地から物資を動員して、強圧統治をおこなうためだった。したがって、この時期の中国文化は、異民族の文化と入り混じって変質された「暗黒期」だ。一方、「洛陽」と代表される中原の内陸都市が首都として定着した時期は、知識人を優遇し、国からの強圧が少なかったので、文化や学術などが自由に花を咲かせた。

5章で構成されているこの本は、中国歴代王朝を概括し、長安や洛陽、北京に都を定めた王朝への分析的説明を示している。その一例として、漢王朝だったが、長安に首都を構えた西漢(紀元前206〜起源と8年)は封建制の枠組みを構築しようと、強力な統治を施したため、漢文化は、洛陽を首都に定めて知識人を宰相に登用して大事にした東漢(25〜220年)時期になってようやく発展したという見方を示している。

北京が首都となっている現代の中国はどうだろうか?著者は昨今の北京を、かつての「中原の北京」と受け止めてはならないと強調している。もはや中国の町はずれではなくなった北京、そしてここに首都を構えている中華人民共和国は、伝統を基盤にして新しい文化を創造しようとしているという。



김배중기자 キム・ジュンベ記者 wanted@donga.com