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「韓日関係回復の兆し…それでももっと晴れ晴れと発てれば」。

「韓日関係回復の兆し…それでももっと晴れ晴れと発てれば」。

Posted June. 23, 2016 11:44,   

Updated June. 23, 2016 14:05

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벳쇼 고로 대사는 한국에 근무하는 동안 한글 서예를 열심히 배웠다. 3년 반 동안 지도해주신 선생님이 작품으로 인정한 것은 5개. 벳쇼 대사가 서울 성북구 삼청동 대사관저에서 자신의 작품에 대해 설명하고 있다. 박경모 전문기자 momo@donga.com



 5月中旬のある日,ソウルのあるホテルで10月に開かれる日韓交流おまつりを準備する集いがあった。別所浩郎駐韓日本大使も参加した。彼は祭りの骨格を定める実行委員に「12回目であるこの行事が今年も成功することができるように努力してほしい。私も大いに期待している」と話した。

 それで尋ねた。「10月まで大使としていますか」。すると意外な返事が帰ってきた。「8月16日になれば私は最長寿の駐韓日本大使となる」。記者はその場で,「8月16日を少し過ぎたところでインタビューをしよう」と要請し,彼も受け入れた。

 だが,彼の夢は叶えられなかった。彼は国連大使として発令を受け,22日,米国のニューヨークに発つ。18代大使であった彼の在任期間は須之部量三大使の3年10ヶ月(1977年7月~1981年5月)の次に長い3年8ヶ月。11日,彼とソウル三清洞の大使公邸で会った。日韓関係が悪かった期間とするのであれば,彼が最長寿の大使であろう。韓国外交部が大使を庁舎に呼んで抗議する「召致」というものも,8回も経験した。

―赴任する時このように長くなるだろうと考えたことはあるか。

「来る時(2012年10月)どの程度することになるのか,そういうことを考えたことはない。ただ,2015年という年に対しては意識していた。国交正常化50周年になる年だからだ。2015年が良い年になるのか,逆に大変な年になるのか,それをよく管理しなくてはいけないという心はあった」。

―後任の大使がくる前に離任するのは韓国を軽視することでないかという批判もある。

「今,日本は国連安全保障理事会のメンバーなので国連側も長く空けておくことはできない。かといって,韓国もそこまで長く空けておくことはできないので,両方を少しずつ空けるように(妥協するように)なったようだ」。

―来る時と離れる時の両国関係を評価するなら。

「来る時,非常に難しいという言葉を色々な人から聞いたし,私もそのように考えた。最も悪いと話す人もいた。だが,大きな流れから見るなら,自分は,日韓関係は進展してきたと考える。2015年という意味ある年を通して両国政府が前に向かって努力することに合意をしたという点では,これからは良い方向に動くのではないかと期待している」。

 彼は韓国在任中最も記憶に残ることとして躊躇なく「2015年6月22日の行事」を挙げた。

「ソウルと東京で同日に両国首脳が国交正常化50周年を祝うために,元々一つであった屏風の片方の前に立って挨拶をした。自分は,その時までは難しかった両国関係に一つの転機が訪れたのではないかという予感がした」。

 彼の予感は的中した。朴槿恵大統領と安倍晋三総理は,その年の11月2日,ソウルで就任後初めての日韓首脳会談を行い,12月28日には最大の懸案だった慰安婦問題にも合意した。しかし,彼が肯定的な予感がするまでには赴任後32か月もかかった。この日以前は,「一体,日本と韓国がなぜ親しく過ごさなければならないかとの質問を受ける時もある。それに対する答を求めたい」とまで話したことがある。彼の話は「大使としてとてももどかしい」という告白に聞こえた。

―韓国と日本が親しく過ごさなければならない理由は発見したか。

「その質問に非常に明確に答えた人がいた。日本人でも,韓国の人でもない。EUの外務大臣と呼ばれるフェデリカ・モゲリーニ氏であった。彼女が韓国を訪問した時(2015年5月),このようなスピーチをした。『第2次世界大戦後,EU内部では相互不信が激しかった。それで,ヨーロッパの人々は相互間の共通利益を探した。共通の利益を実現させた時信頼関係が生まれた』。私もやはり『そうだろう』と考えた」。

―両国が共通利益を実現した例があるか。

「2002年ワールドカップがある。初めは誘致競争でどちらが勝つか負けるかの世界であった。しかし,第三国の提案でもあったが,両国が共同開催をしようという案を受け入れ,日本と韓国が努力をしたため,実際に良い事例が作られた。このような例に出会うのは容易なことではないが,しかし潜在的なことはいくらでもあると考える。無理に何かを作ることより,いくらでもあるのを一つ一つ生かしていければよいというのが自分の結論だ」。

 彼は「日本と韓国で最も残念だったのが信頼不足であった」という話を何回もした。信頼という話が出たついでに,両国指導者に対しても尋ねた。二人の指導者の強い個性が日韓関係をこじらせる「キャラクター・リスク」として作用したと普段から考えてきたためだ。

「一つ忘れてはいけないのは朴大統領と安倍総理はほとんど同じ時期に新しい政権を作ったが,その時点で日韓関係が非常に悪かったという事実だ。それで大統領も総理も苦労した。二人の指導者は意志が強いリーダーだと考える。そのようなリーダーが2015年を契機に両国が良い方向に進まなくてはいけないという決意を固めた。自分はこれから,少なくとも政府間では良い方向に行くものと期待する」。

 このような質問は外交官を困惑させる。外交官が自国や駐在国の指導者を批判することはできない。ただ,どんな見解を持っているのかが気になったのであったが,彼はかなりうまく切り抜けた。記者が短所と考えた二人の指導者の「性格」を良い結果を期待させる肯定的要素に変えてしまったということだ。

―慰安婦合意はどのように評価するか。

「両国が,どのようにすれば解決の方向に行けるか,最大限努力したと考える。そのため,どのようにしてでも双方が確実に履行することによってこの問題を収拾していけば良いだろう」。

―合意履行と少女像移転との関係に対しては(この問題は日韓が最も尖鋭に対抗している懸案だ)。

「日本と韓国の外務大臣が世界の前で,TVカメラの前でやりとりしたことがある。今その文面をいちいち繰り返してみても意味がないが,それを見ていただければ良いだろう。そこに全てのものが記されていると考える」。

 別所大使は「連携している」という話をしたそうに見えた。

―もう少しはっきりと話してほしい。

「韓国政府がある方向で努力すると話しているので,良い結果を得られるように自分は期待する」。

 それ以上返事を強要するのは無理だと考えた。彼は,日本政府が拠出することにした10億円を与えることは止めようという日本国内の雰囲気に対しても,「日韓双方が誠実に合意を履行するということに尽きる」と述べた。

 彼は何回も「両国が合意をした」ものに重きを置く発言をした。それと共に過去の経験を聞かせた。

「1995年から2年7か月間,外務省で韓国を担当した。その時得た肯定的経験が先ほど話したワールドカップ共同開催であり,その反対の経験が慰安婦問題だ。『アジア女性基金』の失敗は,日本が一方的に善意を施す,善意で何か行動をするということだけではうまくいかないという教訓を与えた。両国の政府が合意してこそ問題解決が可能だ。それで,自分はここ数年間,慰安婦問題を議論する時,日本と韓国の両政府がはっきりと合意をしなければならない,それが絶対に必要だと主張してきた」。

 中国に対する日韓間の見解の差が非常に大きいことに対してどう思うのかも尋ねた。中国に対して日本が持っている不信,すなわち軍事力膨張と海洋支配の意図,異なる政治体制などについて,彼も言及をしたが省略しよう。彼は終わりにこのように話した。「中国に対する日韓の見解が違うからといって,それが日韓対立の種になるとは考えない。むしろ,日韓が協力し,中国が地域の大国として責任ある政策を推進するように誘導することが重要だ」。

 彼がこれまで行ったインタビューを見てみると,長く勤めたことに比べれば,そこまで多くはなかった。主な報道機関とのインタビューは,片手で数えるほどであった。ここでも日韓間の信頼不足が伺えた。2014年2月の本紙とのインタビューは,「(大使の誕生日であったのに)大使館で会った彼の顔からは浅い微笑さえ探すことが難しかった」という話で始まり,「そのように80分の質疑応答を終わらせたが,苦しさと物足りなさは解消されなかった」で終わっていた。

 今回のインタビューでも彼が100%率直な返事をしたとは思わない。ただ,彼は確信を持って誠意を尽くして答えた。このような変化はどこからきたのだろうか。別所大使は最も難しい時に韓国に赴任し,それなりに「希望」を持って離れることになったことに安堵する雰囲気であった。ところが残念さも隠さなかった。

「やはり残念だったことは,特定のことというよりは,日韓の関係がさらにうまくいっていなければならないということだ。これからの希望と期待について話すが,今のような難しい状況にあること自体を残念に思う。もう少し晴れ晴れとした気持ちで発てれば良かっただろうが…」。

 彼はインタビューの終わりに,「せっかく韓国から国連大使が行くので,(国連で)韓国との連係は確実に行う」と徳のある話をした。彼が一人でこの約束を守ることが出来るかは疑問だ。ただ,韓国と日本が国連という国際舞台において,互いに米国が味方であると引き入れ,見苦しく争うことがなければ良いだろう。戦うことになったとしても,前駐韓日本大使,別所浩郎が知恵と忍耐を発揮すればもっと良い。

シム・ギュソン大記者



심규선대기자 ksshim@donga.com