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[東京小考] ミサイル発射と BIGBANG と

Posted February. 11, 2016 07:39,   

Updated February. 17, 2016 18:40

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北朝鮮が2006年に初の核実験をした直後、たまたまパリにいた私はエマニュエル・トッド氏と対談した。70年代にソ連の崩壊を予言したことで有名なフランスの学者だ。2002年に出した著書「帝国以後」では米国の凋落を予告し、世界的なベストセラーになっていた。

 北朝鮮のことはよく知らないので予言できないとしつつ、核兵器を実戦配備するまでには崩壊するのではないかと語ったが、目下はその兆しがない。いま彼の考えを聞きたいものだが、それはともかく対談で私を驚かせたのは、彼が日本の核武装をしきりに勧めたことだ。

「核兵器は偏在こそが怖い。広島と長崎に原爆が使われたのは、米国だけが核を持っていたためだ。米ソの冷戦時代には互いに使わなかった。インドとパキスタンも、双方が核をもってから和平のテーブルについた。東アジアでは、未知の北朝鮮は別として、中国だけが核保有国では安定しない。だから日本も持つべきだ」という論理だった。

私は、唯一の被爆国である日本では国民の間に核への拒否反応が極めて強いと説明したが、彼はそれを克服しろと言う。日本の大きな構造問題は米国と中国という二つの不安定な巨大国家の存在だ。米国はイラク戦争のように、すぐ軍事力に訴えがちだし、中国は種々の社会問題による国民の不満を「反日ナショナリズム」によって外に向ける。中国を抑制し、米国から自立するためにも日本は核をもつべきで、それこそが戦争に巻き込まれるのを避ける道だというのだ。

フランスは第二次世界大戦のあと、ドゴール大統領が核の保持に踏み切った。米英の核に頼らなかったのは、フランスが何度も侵略を受けてきたからだという。だが、アジア侵略の記憶が周辺国にまだ残る日本が核をもてば悪影響は計り知れず、必ず軍拡競争を招くことだろう。私は「非核」を掲げて核軍縮を訴え続けることこそ、日本の役割だと反論したのだが、何とも刺激的な体験だった。

さて、最近は北朝鮮の核やミサイル発射に挑発されて、韓国でも有力紙に核武装の議論を真剣に主張するコラムが登場するなど、核保有論が頭をもたげてきたようだ。だれも北朝鮮を抑えることができない現状からすれば、その気持ちも分からないではない。日本が原発のため、核兵器に転用できる高濃縮プルトニウムを蓄積しているのに比べ、韓国はそれも認められないといういら立ちが強いのだろう。

だが、そのコラムに書かれたように、日本がそんな立場の違いから「隣の不運の陰でにたにたと笑っている」と考えるなら大間違いだ。いかに潜在能力をもつとはいえ、核武装するとなれば米国との対立を覚悟しなければならず、日米安保条約の存立にかかわってくる。現実の選択肢にはないといえ、米国の核に頼るしかないのは日本も全く同じなのだ。

それどころか、いくら何でも狭い半島の中で、彼らが同胞に向けて核を使うだろうかという疑問もある。南北共同で開発した核兵器が日本に打ち込まれるという空想小説が、韓国でベストセラーになったこともある。むしろ一番の脅威にさらされているのは自分たちだと感じる日本は「にたにた笑う」どころではない。いや、互いに脅威の度合いを張り合っても仕方ない。重要なことは、いまこの両国こそが、強い脅威感と焦燥感を共有しているという事実である。

そんな折も折、日韓関係の好転を象徴するように、K-POPの代表的グループBIGBANGが日本のテレビ番組に久々に登場した。4年ぶりに日本でアルバムを発売したのだという。新曲の披露に加えて、彼らの大ファンでもある日本の芸能人らと和気あいあいに軽妙な会話を交わし、大いに盛り上がった。

日韓の報道番組が深刻な核問題で一色だというのに、これは何とも落差の大きな光景だったが、実はこんな番組ができる日韓共通の若者文化こそ、長い目で見れば北の脅威に対する一番の力ではないか。北朝鮮が崩壊、あるいは社会変革を図る日がくるとしたら、武力ではなく、社会の豊かさと自由への渇望が原動力になるはずだからだ。

北の若者たちにも、早くこの楽しさを味わってほしい。一糸乱れず「マンセー」の声を上げる大集団の痛ましい画像を思い浮かべつつ、そう思うのだった。

 

(若宮啓文 日本国際交流センター・シニアフェロー、元朝日新聞主筆)