Go to contents

「日韓交流おまつり委員長,本当に光栄なポストか?」朴三求会長に聞く

「日韓交流おまつり委員長,本当に光栄なポストか?」朴三求会長に聞く

Posted September. 14, 2015 19:02,   

한국어

9月1日夕方,ソウル三清洞の駐韓日本大使公邸で開かれた「日韓交流おまつり2015 inソウル」の実行委員会が終了する間際,朴三求錦湖アシアナグループ会長が締めくくりの発言を行った。

「6月22日,朴槿恵大統領と安倍総理が,それぞれ自国で開かれた日韓国交正常化50周年記念行事に出席したことで,両国は未来志向的な関係に進むことができるという期待を持つようになった。国交正常化50周年を迎え,両国政府が合意して作った『共に開こう,新たな未来を』というキャッチフレーズは非常に立派だが,このキャッチフレーズが『美しいキャッチフレーズ』になるよう努力する。今後,日中韓サミットや日韓首脳会談が実現することを期待し,ここにいらっしゃる全ての方が親善友好大使として日韓関係の改善のため努力してくださることを期待する。」

朴会長がこのように発言した理由は,彼が「日韓交流おまつり韓国側実行委員長」に推戴されたためだ。彼は「個人的に光栄な職を任されることになった」とも述べた。

しかし,記者の考えは少し異なった。「朴会長にとって日韓交流おまつりの実行委員長という地位は,果たして光栄なものなのだろうか」という疑問が湧いたからである。日韓関係はジェットコースターのような状況になることが多く,日韓関係が冷え込むたびに,おまつりに来る人がいなくなるのではないかと心配しなければならない。実際,心配された年が多くあった。何不自由ない大企業のトップにとって,光栄だと言えるほどのポストではないはずだ。9日,ソウルのセムンアン路にある錦湖アシアナグループ本館で朴会長に会い,日韓交流おまつりの実行委員長としての考えや日韓関係の改善策などについて本音を聞いてみた。

まず「日韓交流おまつりの韓国側実行委員長という役割は,俗な表現で『上手くやって当然,一歩間違えたら大きな非難を受けるポスト』だと思うが,どういう経緯で引き受けることになったのか」と聞いた。

「そのように考えたことは少しもない。両国関係に役立つことができればという思いで引き受けただけである。最近,ある日刊紙に連載中のJP(金鍾泌)回顧録で,JPも日韓国交正常化当時,李完用(イ・ワンヨン)だと罵倒されたが,誰かがやらなければならないことだったと述べている。自分も,そのような覚悟で委員長を引き受けた。日韓関係が良ければ,自分でなくてもこの役を務める人は多かっただろう。」

彼は,1945年の光復の年に生まれた。光復の年に生まれことを特別に感じるかという質問に,彼は「自分が生まれてから,国が解放されたので大きな祝福を受けたことになる」と笑って答えた。もしかすると,光復の年に生まれた企業人である朴会長だからこそ,日韓両国が過去を乗り越え未来に進むべきであると発言できる,最も適切な位置にいるのかもしれない。

日韓交流おまつりの韓国側実行委員長という役割の重さに対する評価は人によって異なるだろうが,少なくとも日本とある程度の縁がなければ,関心を持たない地位であることは確かである。そこで聞いてみた。どういった経緯で委員長を任されることになったのか。

「別所浩郎駐韓日本大使からの要請があった。前委員長である姜信浩東亜製薬会長からも推薦があったとのことだ。別所大使も,自分と日本との関係をよく存知の上で頼んできたのではないかと思う。」

姜信浩会長は,2009年から韓国側の実行委員長を務め,日韓交流おまつりが定着するまで大きな貢献を果たしてきた。共に経済界で活動してきた姜会長が,朴会長を後任に推薦したことは理解できるが,別所大使が朴会長と日本との関係をよく知っているという部分は,一瞬理解できなかった。すると,朴会長は,二階俊博自民党総務会長(76)について話し始めた。党の総務会長は幹事長,政調会長と共に党三役の一つで,与党の総務会長は非常に重要なポストである。二階総務会長は,1983年に初めて衆議院に当選した後,連続11回当選を果たし,運輸大臣2回,経済産業大臣3回を歴任した日本政界の大物である。一方で,我々にとっては,韓国と中国を大事にしなければならないと主張しこれを行動で実践する,日本国内ではなかなか見当たらない政治家という点により意味がある。

「二階総務会長は,運輸大臣時代に羽田−金浦間の国際線就航に注力し,麗水EXPOの際には,経済産業大臣として麗水の開催を支持するとともに,日本が最初に参加の意思を示す際に大きな役割を果たした。」

日本国内では,羽田−金浦の国際線就航は成田国際空港が,麗水EXPOは経済産業省が反対したため,容易に解決できる問題ではなかった。朴会長は,これらの問題解決にあたり,二階総務会長と緊密に協力しつつ,多くのサポートを受けたことを明らかにした。金浦−羽田国際線就航は,アシアナ航空とも直接的な利害関係があり,麗水EXPOは湖南地域に拠点を置く企業として関心を持っていたようだ。日韓両国が金浦−羽田国際線就航を議論している時に東京特派員を務め,帰国後も日本に関心を持ってきた記者自身も初めて聞く話だった。

今年の2月,朴会長は,二階総務会長が日本の政界と観光業関係者1,400人余りを連れて訪韓し「日韓友好観光交流の夕べ」を開催した経緯についても裏話を聞かせてくれた。昨年1月に,二階総務会長は自身の選挙区である和歌山で全国旅行業協会総会を開いたが,当時,彼の招待により総会に出席したことが契機になったという。朴会長は,この時「来年(2015年)は,日韓国交正常化50周年なので,このような会議を韓国で開催すれば良いのではないか」と提案し,二階総務会長がこれを快諾したというのだ。二階総務会長が全国旅行業協会会長と運輸大臣を歴任した有力政治家だったからこそ可能なことであった。二階総務会長は,朴会長の提案で実現した昨年6月のNHK交響楽団によるソウル公演にも協力してくれた。当時,朴会長は「日韓関係が悪い時ほど,民間交流を拡大する必要がある」と強調し,NHK交響楽団の韓国公演を提案したという。二階総務会長は,200人余りの日本人と共に訪韓し,公演を観覧した。

確かに,朴会長と日本との縁はそれほど浅いものではない。アシアナ航空は,現在,東京,大阪,名古屋,福岡,仙台,沖縄など日本の主要15都市,19路線で毎週168便を往復運航している。日本はアシアナ航空にとって大切なお客様なのである。

また,朴会長は,2008年から,毎年,日本の高校生を対象に韓国語スピーチ大会を開催しており,入賞者を韓国に招き,韓国の名所を視察し,韓国文化を体験する機会を提供するなど,丁重なもてなしも行っている。それは「その国の言葉を知れば,その国を愛するようになる」という朴会長の持論に基づくものである。錦湖アシアナグループは,2008年からベトナムで,2006年からは中国でも大学生を対象に同じプログラムを開催している。まさに,若者の交流は,利害得失に基づくビジネス関係よりも深く,長く続くものであるという点で,錦湖アシアナの試みは,大きな意味を持っている。朴会長の言葉どおり,韓国語スピーチ大会に参加した学生は,「プロコリアン(親韓国)」になる可能性がそれだけ高いからである。

朴会長が今回引き受けた「日韓交流おまつり韓国側実行委員長」という肩書きは,若干馴染みの薄いものではあるが,イベントの最高責任者と考えれば良い。行事は,韓国と日本が2人3脚で準備を進めているが,政治的な外風にもかかわらず,それを気にもかけずに熱心に準備を進めている姿を見ると,少なくともこの行事においては,日韓の和解が成し遂げられたような気がする。特に駐韓日本大使館公報文化院(院長佐藤勝)の活動が目立つ。

日韓交流おまつりは今年で11回目だ。日韓国交正常化40周年であった2005年,「日韓友情年」の付帯行事として始まった「日韓交流おまつり」がその最初となった。初期には,両国政府が関与し,予算も支援したが,今は民間企業,団体,自治体から協賛を受けて行っている。年を重ねるごとに定着し,内容も豊かになり,日韓両国の間の最大の民間交流行事とも言われるようになった。毎年5万人以上がおまつりを楽しむために参加する行事であり,そのような評価は聞くに値するものと言える。

5回目の2009年からは韓国での行事開催から約1週間後に,日本でも小さな規模だが同じ行事を行っている。趣旨も素晴らしく,好評な行事を韓国だけで開催するのはもったいないという指摘を日本側が受け入れたからだ。今年の韓国での行事は,9月19日はソウル新村延世路で,20日はソウル江南のCOEX・Bホールで開催される。日本での行事は9月26,27日,東京日比谷公園で行われる。朴会長は26日の東京の開幕式にも参加する予定である。

国交正常化50周年の今年は,例年とは異なる特別なイベントを準備している。19日に延世路で行われる「朝鮮通信使行列再現」だ。朝鮮通信使は1607年から1811年まで約200年に渡り,12回も日本を訪問した国の使節団である。「通信」は「信義を持って交流する」という意味を持つ。慶長・文禄の役が終わってから10年も経たないうちに「不倶戴天の敵」であった日本に使節団を送ったのは,実利外交の典型であるとの評価を受けている。日韓国交正常化50周年を記念すべき歴史的事実として,当時の行列を再現することにしたのである。当日,会場の周辺には朝鮮通信使への理解を高めるため,広報ブースも設置する。

朴会長は大企業のトップでもあるが,「文化」に高い関心を持つ企業家との印象が強い。理由がなくはない。実際に,彼は文化と文化人にとって頼もしいサポーターであり,積極的に活動している。今年3月には韓国メセナ協会長に就任し,企業による文化芸術への支援を促している。2009年には,光州にクラシック音楽のホール,演劇とミュージカルの公演施設,ギャラリーと映画館を備えユースクエア文化館を作り,故郷である光州の文化芸術活動を支援している。来月には,母校である延世大学の校内に錦湖アートホールを完成し開館する。また,芸術の殿堂に30億ウォン,ソウル大学に50億ウォンの基金を寄託し,若い芸術家の育成に寄与している。その他にも,前途有望な若手音楽家を発掘し,高価な楽器を無償で支援するなどの活動も持続的に行っている。彼は,このような功労が認められ,昨年ドイツの高級ブランド「モンブラン」が授与する「モンブラン文化芸術後援者賞」を受けた。

朴会長に,なぜこのような活動を行っているのかを聞くと,錦湖アシアナ文化財団の理事長として当然やるべきこととの答えが返ってきた。同時に「自分は芸術に才能はないが,芸術をサポートすることには才能がある」と述べた。また子供の頃のエピソードも紹介してくれた。

朴会長は,光州で小学校と中学校に通っていた頃,家を訪れる芸術界の大家達に会い様々なことを感じたという。記憶に残る人物として,彼は,毅斎・許百錬と小亭・卞𨛗植画伯,国唱林芳蔚先生を挙げた。小亭先生が書を書く時には墨をすり,林芳蔚先生が歌う時には,直接録音したこともあるという。彼は,子供の頃のそのような経験が,芸術や文化に興味を持つきっかけになったようだとも述べた。

そういった意味で,彼が日韓交流おまつりの実行委員長を引き受けたのは不自然なことではない。なぜなら,日韓交流おまつりは,前述のとおり,最初は日韓両国政府が政治的目的のために始めたものではあるが,今や両国の民間団体が,おまつりや伝統遊びの中の歌や踊り,公演,食べ物,服飾などを紹介する文化交流の場に変わったからだ。(詳細プログラムは,日韓交流おまつりのホームページwww.omatsuri.krを参照。)もちろん,文化交流が主であるが,これを運営するのは,民間企業と文化団体,地方自治体などが行っているため,重層的な交流の場を提供している。芸術と芸術家を後援する朴会長が実行委員長を務めることになったことは,時代の流れが反映された自然な結果なのかもしれない。

この行事のもう一つの特徴は,ボランティアとして参加している若者たちの情熱である。毎年1,000人以上の若者がボランティアに応募しているが,このうち800人余りを選抜している。日韓関係が非常に悪かった時も応募者は減らなかった。これは,朴会長の言葉どおり,若者への投資の必要性を示しているものと言える。朴会長は,「友好交流というものは,文化交流を含む。他国の文化を理解して楽しむこと,特に若者達のそのような姿は大変素晴らしい。日韓両国の若者達が相手国の文化を楽しむことも当然推奨するに値することである」と述べた。

日韓交流おまつりは,民間交流の場となったが,政治的な意味で注目を集める時もある。昨年9月14日にCOEXで開かれた第10回日韓交流おまつりで,尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官と別所大使が初めて会ったのが代表的な例である。当時は,冷え込んでいる日韓関係のために,外交部長官と駐韓日本大使が一度も会っていないということが,否定的な意味で話題となっていた。二人がおまつりの場で自然な形で会う姿を,両国のメディアは,写真と共に肯定的に大きく報道した。後日,別所大使は,二人の写真がメディアに大きく報道されたことに言及しながら,写真の力を実感したとの話もしていた。2013年には,昭恵総理夫人が日本で行われた日韓交流おまつりに参加し注目を受けた。自他共に認める韓流ファンの昭恵夫人の行事参加は,当然,韓国メディアでも重要なニュースとして報道された。

そのため, 朴会長は,今回の行事に朴大統領が出席してくれたらとの思いを持っている。もちろん,安倍総理も東京の行事に出席することを前提とした話である。6月22日の国交正常化50周年行事が,政府が主催する政治的な行事であったことに比べ,日韓交流おまつりは,民間主導の文化イベントであるという意味で,両首脳が出席すれば,異なる次元で和解の雰囲気づくりに役立つだろうということが朴会長の話である。韓国が議長国として10月末,または11月初めに開催することとなった日中韓サミットと,その際に行われるかもしれない日韓首脳会談にも肯定的な影響を与えるのではないかと思う。朴会長は,大統領の出席ができなくとも,尹炳世外交部長官と駐日大使を務めた李炳基(イ・ビョンギ)大統領秘書室長には,是非参加してほしいとの思いを明かした。

日中韓サミットの話が出たついでに,日本が懸念する韓国の中国傾斜論,中国と韓国の歴史連携についても聞いてみた。朴会長は,2005年から韓中友好協会長も務めており,中国に対する理解も深い。彼は「35年間,日本の植民地支配を受けた韓国とそうでない中国とは当然異なると公の場で発言してきた」との言葉で回答に代えた。

当然の質問ではあるが,韓国と日本は,これからどのような関係を維持すべきかについても聞いた。朴会長は淡々と信念を持って答えた。この回答には,日韓間に軋轢はあるものの,国際社会では,協力することが多いという専門家の指摘をどう思うかという質問に対する答えも含まれている。

「基本的に,両国は未来志向的な関係を維持しなければならないと考える。日本から学ぶこともあり,韓国から学ぶこともある。世界は今,一匹狼では生きていくことができない時代だ。アライアンス(alliance・同盟または連合)が必要である。韓国の立場を日本が理解しにくい,また日本の立場を韓国が理解しにくい部分もあるだろう。しかし,日本も韓国も,互いを認めなければならない。両国が今のように過去だけに縛られれば,いつになっても軋轢をなくすことはできない。」

朴会長は,個人的に「易地思之」という言葉が好きだと述べ,日韓両国も易地思之の精神で問題を解決していかなければならないと話した。彼は政治家が行うべきこともまさにそのようなことだと指摘した。

日韓交流おまつりに最初から関わり,今は名誉運営委員長を務めている高杉暢也・金張法律事務所常任顧問は,易地思之に呼応する日本語として「不易流行」という言葉を紹介したことがある。不易は変わらぬもの,流行は変わるものを意味し,二つの概念は相反するものの,詩と風流の中では交わることができるという意味だという。日本の伝統詩である俳句の大家.松尾芭蕉の考えである。高杉顧問は,韓国も日本も相手国の変わらないことはそのまま認めながら,変わっていくことは変わったままに受け入れれば,良い関係を維持することができるという意味でこの言葉を使っている。易地思之と通じる。

朴会長は,日韓関係を超え,日中韓関係についても見解を明らかにした。

「日中韓三ヶ国は,互いに協力しなければならない。世界は今,米国を中心としたパックス・アメリカのブロックとEUを中心としたヨーロッパのブロック,そして東アジアのブロックが存在する。しかし,東アジアのブロックだけが,日中韓間の対立ためにブロックとしての力を発揮できずにいる。これは大変間違ったことだ。」

そして,朴会長は「鼎立」という言葉を口にした。鼎立とは,三つの勢力が釜の三足のように対抗していることを意味するが,三足は四足よりも安定性があるという。東アジアでは,日中韓が域内の鼎立を作り,その域内の鼎立が米国,欧州と肩を並べるグローバル鼎立の一軸を担うべきであるという意味のようだ。そのためには,日中韓が未来志向的な協力の構図を備えなければならないというのが朴会長の論理である。遥か遠い将来の話になるかもしれないが,彼のこのような構想は,日中韓三国の有識者らが皆,口にする理想的な構図でもある。

記者は日韓交流おまつりが始まって以来,偶然にも,一回も欠かさず,なんらかの形で同行事に関わってきた。最初の数年間は観覧客として参加し,その後数年間は後輩の記者に取材を指示する立場となり,最近の数年間は,実行委員として微力ながらも行事の準備をサポートしている。その過程で自ずと分かったことがある。このおまつりが成功するためには3つのことが必要であり,3つのことがあってならないということだ。

必要な3つのこととは,友好的な日韓関係が国益につながるという信念,このような行事を通じて日韓関係の改善に貢献するという意思,政治的な意味を離れておまつりをただのおまつりとして楽しむ余裕である。あってはならない3つのことは,この行事を否定的に考える見方があるのではないかという不安,目に見える行事の成果が早く出ることを期待する焦り,両国を我田引水の立場で比較する浅はかな愛国心である。

朴三求会長は,そのような意味で,日韓交流おまつりを一段階アップグレードさせることに尽力してくれるだろう。それほど得にもならない役割を快く引き受けたという点と文化活動に対する普段からの貢献,おまつりのもう一つの軸となる日本への理解,今年7月に韓国訪問委員会の委員長に選任されるほどの国際的感覚などがそのような期待を持たせてくれる。

誰が知り得るだろうか。日韓交流おまつりが30年,50年,いや100年以上続き,後世の人々が,対立していた両国を近くて近い国にする上で大きな役割を果たした行事として評価するかを。朝鮮通信使に対する評価のように。しかし,日韓交流おまつりには,朝鮮通信使と明らかに異なることがある。朝鮮通信使は政治的な行事であり,文化交流は付随的なものであった。そのため,国を代表する正使,副使,従事官が中心人物であった。しかし,日韓交流おまつりの主人公は行事を準備する人々ではなく,会場を訪れる一般市民である。

おっと,日韓交流おまつりを成功させるために必ずあるべきもの一つを追加しなければならないようだ。それはこの行事がいつまでも続くという揺るぎない確信である。

沈揆先(シム・ギュソン) 東亜日報 大記者