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対独戦勝記念日、欧米は5月8日なのにロシアはなぜ9日?

対独戦勝記念日、欧米は5月8日なのにロシアはなぜ9日?

Posted May. 08, 2015 07:18,   

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ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。

1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。

反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、ドイツ国防軍最高司令部のヴィルヘルム・カイテル総長が、ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ最高司令官の前で降伏文書に再び署名した。この時間がモスクワ時間で9日0時43分だった。このような理由で、今でも戦勝記念式典は欧米では8日、ロシアと社会主義圏国家では9日となっている。

ロシアは連合軍の対ドイツ戦勝の主役が自国だと考えている。ロシア人は1812年にナポレオンを撃退した戦争を「祖国戦争」、第2次世界大戦を「大祖国戦争」と呼ぶ。ロシア人は、自分たちが世界を2度も救ったという強い自負心を持っている。多くの歴史学者も、第2次世界大戦でソ連が決定的な役割を果たしたことに同意する。

第2次世界大戦で、ソ連はドイツ軍兵力の60〜80%と戦った。ロシア人は、第2次世界大戦の情勢を変えた契機も、ノルマンディ上陸作戦ではなくスターリングラードの戦いとクルスクの戦いだと考える。1942年7月から6ヵ月間続いたスターリングラードの戦いで、ドイツ軍は捕虜9万1000人を含む85万人の兵力を失い、破竹の勢いだった戦意を喪失した。この勝利のために、ソ連軍は113万人の死傷者を出した。1943年7月、クルスクの戦いでは、130万人のソ連軍が80万人のドイツ軍を退け、情勢を覆した。1944年6月のノルマンディ上陸作戦以降、米英連合軍は西部戦線でドイツ軍56万人と戦っただけだが、ソ連軍は東部戦線で単独で450万人のドイツ軍と戦った。

ソ連軍は装備が劣勢な条件で戦ったため、犠牲が大きかった。第2次世界大戦でソ連側は軍人1000万人以上を含む2700万人が犠牲となった。当時のソ連の人口の12%に相当する数だ。また、国土の3分の1が焦土と化した。世界制覇を夢見た最強ナチス・ドイツ軍を全国民が愛国心で結束して退け、世界も救ったという自負心を持つロシアは、いくら経済事情が悪くても、毎年戦勝記念式典だけは盛大に行う。



zsh75@donga.com